Paradise Found

好きな音楽関連の英語和訳や諸々です。My Japanese translations (from English) and various things related to my favorite music.

Mike Mangini インタヴュー和訳 2011年5/6月 DRUMHEAD 27号

初出:2011年7月 別ブログに投稿

 

【背景情報】

 

ドリームシアター Dream Theaterサイト)創立メンバーでありドラマーのマイク・ポートノイ Mike Portnoy が2010年9月8日、脱退を発表。

 

Dream Theaterはバンド再建のため、凄腕ドラマー7人を集め2010年10月に新ドラマーオーディションを実施。

その模様をドキュメンタリー映像に収録し2011年4月YouTubeで公開。

 

Episode 1 動画 :マイク・マンジーニ Mike Mangini

Episode 2 動画 :デレク・ロディ Derek Roddy、トーマス・ラング Thomas Lang、ヴァージル・ドナティ Virgil Donati、マルコ・ミネマン Marco Minnemann

Episode 3 動画 :アキレス・プリースター Aquiles Priester、ピーター・ウィルドアー Peter Wildoer、合格発表

 

日本語字幕付きの映像がアルバム "A Dramatic Turn Of Events" スペシャル・エディション日本盤(2011年9月発売)(amazon)付属DVDに収録されています。

 

上記YouTubeやDVDではカットされているマイク・マンジーニとのジャム演奏の映像を収録したUSBがアルバム "Dream Theater" ボックスセット(2013年9月発売)(amazon)に付属しています。

 

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My Japanese translation of the Mike Mangini (website) interview.

The original English interview: DRUMHEAD #27 MAY/JUNE 2011 issue (available at their website as long as in stock)

I bought a copy when it was published in 2011. 

 

マイク・マンジーニ Mike Mangini(サイト)インタヴューの和訳です。

原文:アメリカのドラム誌 DRUMHEAD #27 MAY/JUNE 2011号(公式サイトで在庫ある限り販売中)

訳者は2011年の発売時に1冊購入しました。

  

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夢の始まり

 

ジョナサン・ムーヴァー Jonathan Mover(以下JM)(訳注:"DRUMHEAD" 編集長。ドラマー。Facebook

最初に ドリームシアター Dream Theater のオーディションの話を聞いたのは、どんな風に?どういうことがきっかけでオーディションを受けることになったの?

 

マイク・マンジーニ Mike Mangini(以下MM):みんなと同じように僕も、マイク・ポートノイが脱退するということを彼のオンラインの発表で見た。その2週間ぐらい前に、僕の甥のルークがメールしてきて「バンドのAvenged Sevenfoldにいる、おじさんの友達のマイク・ポートノイのことだけどね、彼がDream Theaterに戻るときに、おじさんがAvengedに入るように手助けしてくれるんじゃないかな」なんて言ってたんだ。

(訳注:マイク・ポートノイはDream Theater在籍中からAvenged Sevenfoldのライヴにも参加していた)

その頃、時を同じくして、僕はまたバンドに入りたいということを、すごく真剣にあちこちに伝えてたところだったんだ。

 

JM:完璧なタイミングだね。きみがバークリー音楽大学(Berklee College Of Music)の教職から演奏活動へ移りたいと思ってたことは、僕も知ってるよ。

 

MM:うん。演奏活動を目指す生徒たちが身につけようとしてることを僕もやりたいんだと、あるときはっきりしたんだ。真剣に練習する時間と環境を得て、演奏をして充分なお金をもらって、レコーディングをして、世界ツアーをするということをやりたいんだとね。アナイアレイター Annihilator や エクストリーム Extreme やスティーヴ・ヴァイ Steve Vai とツアーやレコーディングをした、たくさんの楽しい経験も反芻した。そういう思いを燃料にして、あの生活を取り戻すよう頑張ろうと思ったんだ。自分のドラムテック [マギー Maggie] とも10年も仕事をしてなかったんだよ。彼が1日に11回ぐらいは僕に悪態をつくのをまた聞きたかった(笑)。

 

世界ツアーをする生活から離れた [マンジーニ氏のこのインタヴュー時点での最新の国際ツアーは2000年] 理由は、フルタイムの教職を得たからというよりも、家庭を築きたいと思ったからなんだ。[スティーヴ・ヴァイの] Ultra Zoneツアーのあと、僕はロサンゼルスにいて「家に帰って、なりゆきを見守ってみよう」と思った。まだヴァイのバンドを離れたわけじゃなかったんだよ。たぶん「ただツアーが [一時的に] 終わっただけ」という状態だったから。その前に休みになったときには1年半以上にもなったから、またそういうケースなんだろうと思ったんだ。前に中止になっていたそのツアーの公演コース(南米コース)が復活することになって、お呼びがかかった。けど、いろいろあって、結局、僕は代わりにバークリー音楽大学で仕事をすることにしたんだ。

 

その何年も前に、ディーン・アンダーソン Dean Anderson [バークリーのパーカッション学科の前学科長] がPASIC(訳注:Percussion Art Society International Convention パーカッションアート協会国際大会)のイベントで僕に会ったとき、彼のもとで教えて、彼が組織していたすばらしい教師グループの一員になってほしいと言ってくれてたんだ。僕は2000年にその話を承諾した。そしたら一斉に、それまでなかったぐらいたくさんの短期間のバンド活動やクリニックツアーのオファーが来た。バークリーでパートタイムで働くというのは、本業の収入の不足分を埋めるのにちょうどよかったんだ。

 

授業をできるようになるのは、わけもなかったよ。あのパーカッション学科の総合的な才能というのは、びっくりするぐらいすごいんだ。それを全部吸収することができたし、いちばん大事なことだけど、責任持って本業の演奏活動と教職のバランスを取る自律性も僕は備えてた。信用を台無しにするようなことは絶対にしなかったし、そういう風に仕事をすることは好きだったよ。演奏活動の仕事というのは、僕が生徒たちとのつきあいを持ち込んで、生徒たちをギグに連れてきたりしても許してくれて、それで生徒たちとすばらしい交流をすることもできたから、その点でも両立は重要だったんだ。生徒たちに教えることは、僕にとって本当に本当に楽しいことだから。

 

その後、結婚して、2人目の子供ができた頃までにはフルタイムで教えるようになってたんだけど、あとで、フルタイムにしたのは失策だったということになった。現実にどういうことが必然的に起こるか、本業の演奏活動にどういう影響を及ぼすか、気付いてなかったんだ。他に変わってしまったこともいくつかあったけど、同じように、バークリーでの教職はもう僕が生涯をかけたい仕事ではないんだと、わかることになってしまった。

 

僕はこのことをごく何人かの友達や同僚たちと長いこと話し合った。妻と僕もこのことを話し合った。バンドに入っている状況になって、充分な収入を得て、ドラムの練習ができて、生活が大丈夫だと思えるまで他の仕事をして精根尽き果てなくてもいいようになることを僕が本当に望んでいると、妻はわかっていた。彼女はこう言った。「誰もあなたを呼んでくれないわよ。あなたから行って仕事を手に入れなきゃ」

 

それで、今まで頑張って築き上げた仕事上のつながりがうやむやのうちに薄くなってしまう前に、僕はまたバンドに入りたいということを、あちこちに伝えて回り始めたんだ。

 

その後、起こり得ることの中で世界一最悪のことだと思ってたことが、起こった。結局それが天の恵みのようなことだったと、あとでわかったんだけどね。30年間酷使して半月板に裂け目が入ってたり、スポーツで怪我もしたりしてた僕の右膝が、ついに力尽きた。こういう怪我をすると足がもうシャットダウンしてくれと脳に信号を送って、それで持ち主ももうそんな無茶ができなくなるんだと聞いたよ。脳が足に「休め」と言うんだって。でも、元気で、いつも駆け回ってて、ドラムを叩いて、家事もして、いろいろしてたのに、どういうわけか足が動いてた。丈夫ではないけど少なくとも動いてはいた。

 

結局、半月板と筋肉がもうだめになってしまって、僕はガレージで転倒した。ただ、はしごの段を進んだだけなんだけどね。足の感覚がなくなった。体が地面についたときの具合で膝をひねったようで、半月板が割れる音が聞こえた。床に倒れた状態で、親友の1人ダナ Dana [・スペルマン Spellman] に電話したんだ。彼は理学療法士で、僕の元教え子でもあって、今はゲイリー・シェローン Gary Cherone と一緒にハートスマイル Hurtsmile でプレイしてるよ。彼はすぐにどういうことかわかってくれて、ケヴィン・ガーネット Kevin Garnett 選手 [ボストン・セルティクス Boston Celtics(訳注:ボストンのバスケットボールチーム)] の膝の治療を助けた医師のリッチモンド Richmond 先生の受診待ちリストに僕を入れてくれた。

 

僕はダナに来てもらって、膝を診てもらって、その病院へ連れて行ってくれるように頼んだはずだったんだけど、彼は代わりに、僕を連れて、他の友達2人と一緒に近所の医院へ行ったあとは、僕の手にビールを持たせて「僕たちが一緒に出かけるなんて久しぶりだから、釣りに行くぞ!」と言って、みんなで僕を手押し一輪車に乗せてボートまで運んだ。実際、連れて行かれて僕はとてもラッキーだったんだ。動いていなかったはずの動き方をして、半月板の位置が戻ったんだ。少なくとも足をまっすぐに戻しておくことはできたよ!(笑)

 

左右の膝にある半月板はそれぞれつながっていない2つのパーツがあって、馬の蹄鉄が互いに向き合ったような形をしてるんだけど、右膝の手術を受けて半月板の片方の40%と、もう片方の15%を取り除いた。でも中に残っている部分はすり切れてるんだけどね。

(訳注:マンジーニ氏の 別のインタヴュー によるとこの手術を受けたのは2009年

 

それからは全力で回復生活に入った。できるときにリハビリをして、松葉杖をついてキャンパスをひょこひょこ歩き回って、人との交流も保ってた。家には生まれたばかりの赤ちゃんがいて、フルタイムの仕事もしてて、ものすごい量のEメールにも返事を出さなきゃいけないというのは、ちょっと大変だった。

 

それが何とかなったあと、2009年に [キーボーディスト、ヴァイオリニストの] エディ・ジョブソン Eddie Jobson から電話をもらった。サイモン Simon [・フィリップス Phillips] の後任が必要だと言うんだ。サイモンがTOTOの活動で抜けるからだったと思うんだけど。

 

(訳注:エディ・ジョブソンは2009年よりU-Z Projectと銘打ったバンド活動を展開。 エディ以外のメンバーはツアーごとに変化するがドラマーはマルコ・ミネマン Marco Minnemann がレギュラーとして参加。もう1人ドラマーを入れて競演スタイルとするアイディアが出された際サイモン・フィリップスが参加。

 

リットーミュージック "Rhythm & Drums magazine" 2010年8月号(出版元サイトの記載 在庫はなし)で、エディ・ジョブソン率いるU-Zero Projectで来日したマイク・マンジーニ&マルコ・ミネマンが一緒にインタヴューを受けていて、共演の経緯、練習法、音楽観などさまざまな話題を語っています。(私は1冊購入して読みました。)2人は1999年にアメリカのモダン・ドラマー・フェスティバルで出会って以来の親友)

 

だから、エディのU-Zバンドに参加するためにリハビリと準備をした。その間は他のことは全部投げ出すことにして練習を始めた。それまでの数年でいちばん多い練習量だった。その時点では、足でバスドラムを鳴らすのがよくできなかったんだ。何もかもよくできなかったんだけど、少なくとも僕の新しい足がついに動けるようになったことはわかった。それで、たくさんの他の用事を全部棚上げにして、期待に応えられるよう [2010年の] 2月から5月まで、それより前の10年分を合わせたよりもたくさん練習した。

 

JM:そのときもバークリーで教えていて、演奏活動が中心だったわけではないんだね。

 

MM:うん、フルタイムで教えてたよ。

 

JM:「2月から5月まで練習した」と言ったけど、そこからがU-Zの本番だったということ?

 

MM:5月6日にバークリーの仕事から上がったあと、5月7日に飛行機に乗って、ヨーロッパで別々の2つのクリニックツアーをやりに行ったんだ。行ってそれをやって、6月に家に戻ってきて、前よりは短い時間でU-Zの残りの曲を覚えたんだ。家を離れていた間も聴いてはいたけどね。クリニックの各回の前にしっかりウォームアップをして、できる限りの練習をした。

 

技術レベルのことで言うと、あからさまに言ってしまえば、そのときは1分に100ビートの速度で16分音符が演奏できなかった。右足に筋肉がなかったんだ。痛いからじゃなくて、ただ不可能だったというのが、全然演奏できなかった理由なんだ。僕がお粗末な技術しか身につけてなかったから足がこうなったということなんだよ。過去10年間で演奏していた曲を自分がどうやって演奏できてたのかわからない。そして、お粗末な技術しか身につけてなかったから、それを続けられなかったということなんだ。正しいテンポで演奏できた晩もあったけど、その後3週間、いやそれどころか3晩でも、同じことを続けられなかった。

 

だからまた最初からやり直して、手足の24通りのコンビネーションにまとめた新しい練習システムを開発するに至ったんだ。

[動画]

 

24通りの組み合わせをノンストップで一気にやることを身につけたんだ。ひとつのペアからすぐ別のペアへ移行して、1から20音までのコンビネーションのうち少なくとも1種類をやる。全体を通して1分間に50ビートぐらいで、すごくゆっくりやったよ。この練習で、僕の両足にそれまでの人生で全然なかったバランスと強靭さを与えることができたんだ。

 

U-Zの新曲を覚えて、ギグのメンバーのマルコ・ミネマンについていくとなると、完全にはついていけなかった。ここ数年の彼の足といったら、もうすごいことになってるからね。でも充分近いところまではたどり着けて "Caesar's Palace Blues" を演奏することができた。マルコが出せるテンポが僕は怖くていやがったところもあったけどね。ごめん、できない、って(笑)。そのことは隠さなかった。僕は1回以上「あと1年はそんなに速くできない」って言ったよ。そういうことも全部、回復の過程の一部だね。

 

U-Zはすべてがすばらしい経験だった。そして明らかに説明はいらないほどだけど、あのビリー・シーン Billy Sheehan [ベーシストの] とまた一緒にプレイできる機会を僕に与えてくれた。エディはビリーと連絡を取るのに問題があったから、僕がビリーに電話して、だいたいこんなことを言ったよ。「僕は人生の新しい道に入ったんだ。そして、そこにきみに一緒にいてほしいんだ」ビリーはひとつも異議をはさまなかった。お金のことなんかについてではなくて、一緒にプレイする友人たちについて、異議をはさまなかった、という意味だよ。そのことが僕にはとてもうれしかった。

 

ここで重要事項なんだけど、このエディ・ジョブソンが鍵になってくれたんだ。ドラマーの件では、最終的にDream Theater側の誰かがエディに連絡を取ったか、その逆かなんだ。誰が何を言ったのかわからないけど、エディが僕とマルコの両方を推薦してくれたんだ。

 

JM:Dream Theaterのオーディションに?

 

MM:そう。エディが僕たち両方を推薦してくれたんだ。実際エディは僕のステージでの見た目や、自分を表現する方法も本当に変えたんだ。僕はあまりにもドラムクリニックに慣れすぎてしまって、短パンだろうが何だろうがそういう運動選手みたいな格好でも臆さないようになってしまってたんだけど、彼はこう言った。「ステージとは大事なものなんだ。劇場芸術なんだ。きみはその一部のように見えなきゃいけないし、僕のバンドにいるなら、ふさわしい見た目であってほしい。」

彼のメールを妻に見せたら、えらく盛り上がってたよ。「神様ありがとう!ついにあなたを正してくれる人が現れたわ!これでもうあなたはアイスホッケーの試合に出ようとしてるように見えたり、ニュー・イングランドペイトリオッツ New England Patriots(訳注:ボストン地区のアメフトチーム)とフィールドに出陣しようとしてるように見えたりしなくなるのね。」

 

エディは大きな助けになってくれたよ。彼はそんな自覚もないままに、僕が実現できたことを予言して、こんなことを言ってくれてたんだ。「きみはその手ででかいことをやれる。あれもこれもできるぞ。これからがきみのショウで、これからが暴れるときだ!」彼は僕の演奏を、YouTubeのアクロバティックな映像だけでは判断しなかった。彼は全部を考慮に入れて、僕がエンターテインメントとして演奏できることを、どうやって見せるかを助言してくれて、思い切りやれと言ってくれた。

 

「音の感じ」について、明らかにPAシステムの前に立って2バスのロールを感じたことがない人たちから、しょっちゅう話を拝聴しなきゃいけなかったときと、えらい違いだよ。ちなみに肝臓が腎臓のあるところまで動かされるからね。感じてみなさいって!

 

エディは、僕が自分のすることに前よりずっと自信をつけて、楽しくなれる手助けもしてくれた。こんなに安心させてくれて、いろいろ分かち合ってくれる人は珍しくて信じがたいぐらいだよ。

 

JM:はて、ザッパからUKまで、その証明になるものが彼には何もないけどなあ。

 

夢の続き

 

JM:OK。では、きみの甥っ子さんの話に戻って……

 

(笑)ああっ、そうだ、ごめん。甥がこんなことを言ってたんだ。「おじさんの友達のマイクがDream Theaterに戻るとき、おじさんの手助けをしてくれるんじゃないかな」または「もし戻るなら」って言ってたかな?どっちにしても、本当に頭に虫が入ったみたいに気になる話ではあったね。「いや、それは ”もし戻るなら” じゃなくて ”いつ戻るのか” という問題だろう」と。だからマイクに連絡を取ったんだ。彼はいつもそうだったように、僕にとても親切だったよ。彼はすぐに返事をくれて、あのバンド [Avenged Sevenfold] を続けると言ってた。抜けるとは言ってなかったし、そんなようなことは何も言ってなかった。ただ、可能な限り続けると言ってた。とても平静な感じだったよ。

 

それから、その少しあと、事態が急転。「マイク・ポートノイがDream Theaterを脱退」口をあんぐりさせて驚いたよ。ああ、それからもうひとつ、マイクが僕に書いてくれたことの中に、彼はそのときの状態にとても満足がいってるんだと信じられることがあったんだ。それは大事なことだった。僕がオーディションに行っても、何も悪いことはしてないんだと思えたから。彼はただ脱退しただけじゃなくて、Avengedと活動することが楽しいんだとオンラインでたくさん投稿してもいた。

 

それで僕はジェイムズ James [・ラブリエ LaBrie] に短いEメールを送った。「やあ、ジェイムズ。お察しの通りかもしれないけど、オーディションを受けたい」そして彼の返事はあまり多くを語らず「そうか、連絡する」というようなことだった。すばらしい返事でもあった。

(訳注:マンジーニはジェイムズ・ラブリエのソロアルバム "Keep It To Yourself"(1999年)、"Mullmuzzler 2"(2001年)、"Elements of Persuasion"(2005年)に参加)

彼に詳細を教えてくれと頼むつもりは一切なかった。友情を利用したくはなかったんだ。その連絡自体がしろと勧められてしたことだったんだ。少なくない数の友達が「ラブリエに電話しろ」と言った。僕は「友達だから彼が電話をくれるかもしれない」と思ったんだけど、みんなは「いいや、きみから電話しなくちゃだめだ。自分からドラマーの座を取りに行け。実現させろ」と言ってくれた。

 

JM:ついにDream Theaterから、きみのオーディションをしたいという言葉を受けてから、次はどうなったの?

 

MM:僕は、ただ「OK、いつオーディションに行ったらいい?」と伝えたぐらいで、あまりいろいろ言わずにいたんだ。そしたら、だいたい1ヶ月以内にオーディションをすると言う。僕は膝を見て「うわあ、まずい、うわあ、まずい、まずい、まずい、今すぐは無理だ。まだ回復していない」となった。スケジュール表を見て「オーディションまで3週間しかない。最初の1週間は完全にふさがってるぞ。バークリーに戻って忙しいから、いつものように練習する時間がない。って、何てことだ!それから、そのあと8日間南米に行く」と舞い上がり「まずい、こんなことってないだろう」と思い続けた。

 

それでとにかく課題曲を聴いた。"A Nightmare To Remember" が1曲目で、"The Dance Of Eternity" が2曲目で、"The Spirit Carries On" が3曲目だった。

 

で、"A Nightmare To Remember" って16分あるんだよ。これを聴いて、また「まずい」となった。

そして "The Dance Of Eternity" を聴いて「まずい!!!!!!」と、エクスクラメーション6つ付きで思った!「マイク [・ポートノイ]、なんでこんなことしたの?」と。なぜなら、彼のパートは、彼が何と言おうが演奏するのは簡単じゃないんだよ。でも聴いて、自分ヴァージョンの解釈を書き出した。「ブロック・フォーム Block Form」と呼んでいたよ。

 

時間がない、以上。それが問題だった。妻と僕とで朝に2人の子供たち [1歳と4歳] の身支度を終えて、それから僕はドラムを練習できたけど、90分か、最大でも2時間ちょっとだった。仕事関連のメールは全部すっ飛ばして後回しにさせてもらうしかなかった。家にいる日中の練習時間はそれが全部で、夜は子供たちがスタジオの下の階で寝てるから練習はできなかった。

 

加えて、演奏できていなかった間に、筋肉が動き方を忘れている部分もあった。だから曲を半分のスピードにした。ひとつひとつの音を全部書き出して、自分にどれだけ時間がないかは考えないようにした。練習して、それを録画した。幸いなことに、マイクのパートは僕にとってはすごく自然に体に入ってきてくれた。

 

音をひとつも逃がさずに

 

JM:ポートノイが演奏したのときっちり同じことを模写するというのは、きみが決めたことだったの?それとも、バンド側からの注文だったの?

 

MM:バンド側は僕に何も注文しなかったよ。僕はただ3曲へのリンクをもらっただけだった。

 

僕はこんな風に感じた。既にあるものをリスペクトしよう。僕がオーディションに行ったらどうなるかはわかる。僕がどういうプレイをしようが、それはバンドのみんなが慣れ親しんでいるものとは違うんだから、しっくりくるということはないかもしれない。

 

それに、僕が今までオーディションを受けたバンドというのは、その音楽が好きだからオーディションを受けたんだ。そのドラムパートが好きで、作曲者やバンドのミュージシャンたちやファンに敬意を払いたいんだ。曲というのは、そのバンドやファンが慣れ親しんでいるものなんだ。入って行ってそれを変えてやろうなんて自分は何様か、と。それが僕の考えなんだ。

 

それから、僕にとってはバンドのオーディションというのはただのギグじゃない。家族のオーディションだよ。

 

それで僕はDream Theaterのドラムパートを、できる限りひとつの音も逃さずに覚えた。でも曲を覚えるときって、なにがしか覚えても3ヶ月たってからその曲を聴いたら「このライドベルはどこから来た?」ってなるんだよね。人間の脳にはそういう盲点があるらしいよ。だからもう曲の15秒を覚えるのにどれだけかかるか神のみぞ知る、という感じで、とにかく取りかかった。全部の音を正確に覚えてやろうとしてた。

 

クリニックをやりに行って、空き時間は全部課題曲を聴くのに使おうと思ってヘッドフォンを持って行った。でも、クリニックツアーに行ったらどういう具合になるか知ってるよね。道具が足りなくてセットアップに余分な時間がかかることもあるし、話をたくさんしなきゃいけないとか、それから終了後の夕食会とか、午前2時にベッドに入って次の日に飛行機に乗るとか。ゆっくり曲を聴ける時間なんてずっとなかった。

 

それからオーディションに呼ばれた他のドラマーたちのことも考えてた。全員、僕にできないことを、これからもきっとできないことや、まだできないことを、何かできる。そのことが毎日重くのしかかってたよ。

 

で、オーディションの1週間前になって、南米行きのあとで疲れてはいたけど、やはりバークリーに戻ることになっていた。どこから時間が出てきたか訊かれると謎だから訊かないでほしいんだけど、毎朝練習して、毎晩、それから週末に曲を聴いた。家族の時間も含めて何もかも脇へどけてしまって、とにかく没頭した。メモを書いて書いて書いて、そして曲を聴いた。

 

そして曲を少しは覚えたあと、マイクはどういう演奏をしていたのかオンラインで観に行った。そしたら僕が覚えたスタジオ録音のパート通りのものとは違うことをやっていて、気持ちがガクッとなってしまった。どうしていいかわからなくなった。「バンドのみんなはどういうことを求めてるんだろう?」と思った。

 

何か返答やヒントを探り出すことができたらと思って、ジョン・ペトルーシ John Petrucci にメールした。ありがたいことに彼はDream Theaterがドラマーに求めていることを答えてくれた。「メタルサウンドを鳴らしてほしい。俺たちはプログレバンドだから、こういうことやこういうことを求めていて……それから既存のパートをどう叩くのかを見たい」これが助けになったよ。僕にとっては、彼の言ったことはこういう意味だった。彼らは新しい誰かの解釈版じゃなく、Dream Theaterの音が聴きたいんだ……結局のところはファンのために。それはわかる、僕もこのバンドのファンだから。

 

それに、もし僕がバンドのことをいつも監視しているような過激なファンの1人だったら、たぶん、きっちり同じものが聴きたい。その感覚はわかるんだ。僕はラッシュ Rush の大ファンだから。もしニール Neil がレコード通りのパートを演奏しなかったら……ファンは、あの "YYZ" のフィルや、あの "Hemispheres" のフィルやあのトライアングルが聴きたいんだよね。もし彼があのトライアングルを鳴らしてくれなかったら?

 

JM:ニールのパートって、ゲディ Geddy のヴォーカルと合わさってできあがってる感じだよね。

 

MM:そうだよね。それから、きみのように、きみが僕に影響を与えたように、ニールは僕がコピーして育った7人のドラマーの1人なんだ。僕なんか、彼や今までコピーしてきた、そしてこれからもコピーするドラマーたちのものまね以上の何者にもなれっこないと思うほどだよ。僕は僕として生まれたんだ。彼らが先にやってたことは彼らのほうが巧いに決まっている。それで議論はおしまい。

 

JM:でも、音を隅から隅までコピーしてやってのけるのって楽しくもあるよね。

 

MM:うん!すごく楽しいよね。でも、僕がここで言おうとしているのは、バンドがいいと思うのも、ファンがいいと思うのも、僕がいいと思うのも、レコード通りのものだということなんだ。僕はそれを覚えたくて、それをやろうとしてたんだ。

 

カーブの習得

 

MM:マイクのパートを覚えるのは、オンラインで観られる誰のよりも難しいし、ドラマー仲間たちや彼自身さえも、やるのが難しいと言ってるよ。彼がDream Theaterを脱退したあとの投稿でね。僕の考えでは、やり方がわかるからこそ、すなわち「簡単」と分類できないものもある。あのパートを全部覚えるのは難しそうに見えるけど、見えるよりも更にずっと難しいよ。

 

バンドのオーディションというのは「たぶんできる」とか言ってる場合じゃない。この特別なオーディションは、僕にとっては、既存の曲を止まらずに、ミスせずに、不慮の事故も起こらずに、全部通してぴったり正確に演奏しなきゃいけない、というものだった。僕がそれまでの人生で覚えた中でいちばん演奏するのが難しい曲だったよ。

 

それで、南米から戻ってきて準備をしていて次に気付いたことは、オーディションまであと2、3日になっているということだった。もう週末になってた。僕のオーディションは月曜だったんだけどね。(訳注:マンジーニ氏の 別のインタヴュー によると2010年10月18日) そしてなんと僕が一番手だった。

 

オーディション3日前の金曜の時点で、僕は "The Spirit Carries On" を覚えてなかった。課題曲のひとつを覚えてもいないなんて!出発前には "The Dance Of Eternity" に時間を使って、本当に最初から最後まで、隅から隅まで、何も間違えずに演奏できるかを確認した。それが済んだら "A Nightmare To Remember" を練習して、それから "The Dance Of Eternity" に戻ったら「ちょっと待て、彼はここでシンバルを叩いてるぞ」と気付くような有様だった。

 

で、土曜の終わりまでには全部を何とかして、日曜に顔を上へ向けて家を出た。「僕はやれる。全部の音を知ってる、知ってるんだ。ひとつ残らず全部の音を知ってる。オンラインで復習も充分したし、もしバンドのみんなが何か変えても対応してみせる」と思いながら。僕は曲を覚えるとき全員のパートを覚えるんだ。だから、もしバンドのみんなが僕にカーブボールを投げかけてきても準備はできてるんだ。

 

位置について、用意、スタート

 

JM:それでは、オーディションそのものについて話をしよう。どういうことに出くわしたのか、どういう風に進んで行ったのか。何か一連のテストがあったと、ちらっと言ってたね。

 

MM:そのテストは、オーディションが3段階に分かれていたうちの最後だったんだ。オーディションの前には知らされてなかったことだよ。

 

で、起こり得るあらゆること、全部のことに対して準備するために、僕は個人的に「もしも」シミュレーションのようなことをしてたんだ。あらゆることに対して準備するための僕のウォームアップの一環で、あの僕の手足のコンビネーションやポリリズムのコンビネーションと本質が同じなんだ。バンドのみんなが僕に何か投げかけてきたら、2から19までの全部の数の、どのコンビネーションに対しても準備をしておきたかったというわけだよ。

 

現場に到着したら自分が一番手というのがまず最悪だった。ドラムセットを組み上げなきゃいけなかったし、足りない物を見つける係だよ。でも、ちょっとリストを作っておいたから準備はできてたよ。準備としてすることリストの中に、自分のためのメモとして起こり得る問題を全部書き出す、という作業があったんだ。もしウォームアップができなかったら?もしペダル1個だけで演奏しなきゃいけなかったら?もしこの種類のドラムがなかったら?もしスタンドの長さが足りなかったら?全部に対して答えを書いた。でも結局、その全部に対して僕の考えから出る答えというのは、いいから黙って可能な限りなんとかしろ、なんだけどね。

 

自分のダッフルバッグに入れる物のリストも書いた。予備の延長コード、イヤーモニター2組、ヘッドフォン、iPodとヘッドフォン、耳栓……「会場の部屋で起こり得るシナリオってどういうことだろう?もしそれが起こったら何が必要になるだろう?」と考えた。結局、準備すべき物のメモが2、3ページになった。

 

会場に着いてみると、やっぱりね、ケーブルハイハットが1つしかない。よろしい、オクタバンが2つあるけど手が届きもしない。ハードウェアを組み上げてある位置のせいでもあるし、自分のケーブルハットを適切な位置に置く必要もあったから。でも、そういうことは起こり得る問題として書いてあったから準備はできていた。

 

そして困ったことには、僕が部屋へ足を踏み入れると、バンドのみんなが全員そこにいてモニターのセッティングやらいろんなことをしていたから、曲を通してやってみることもできなかった。練習も個人的ウォームアップもなし……以上。

 

JM:頭の中を整理したり準備したりする機会なし、と。

 

MM:なし。すばらしい気持ちで部屋へ入って行ってみんなに挨拶したけどね。「やあ、みんな。僕は準備できてるよ」って。本当に始める準備もできてたし、ミスなんかひとつもしない用意もできてた。心の中ではね。そういう気でいなきゃいけなかったんだ。そこが大事だったんだ。僕はあまりにもこのバンドのみんなの仲間入りがしたくて、そしてあまりにもこの音楽をかっこよく演奏してやりたさすぎて、かっこよく演奏してやれそうになかったから。

 

ともかく、もう始まってしまった。曲を演奏するわけだけど、僕にとっては全部が前進モードで、つまり「うわあ、オーディションだよ!」とか考えるよりも「OK、ここでカウントするぞ。キーボードでメロディを弾いているジョーダン Jordan [・ルーデス Rudess] を見るぞ。ここではジョン・マイアング John Myung を見る。ここではジョン・ペトルーシを見る。ここではジェイムズ・ラブリエを見る」という風に考えてた。一瞬一瞬のことだけを考えてた。僕の目はバンドのみんながしていることを全部拾ってたよ。みんなのすることは全部把握しているという感じだった。たとえば、"The Spirit Carries On" でジョン・マイアングが何か違うことを演奏してきても僕は準備ができてた。僕はみんなのしていること全部を、それに自分の命がかかってるみたいに、見て、聴いて、感じてた。ジョーダンとジョンがソロで何かすれば、ついて行った。そういう「1回きり」のギターリフをつかまえに突進して行った。僕はみんなを見て、みんなが何をしているか僕がわかっているということを、みんなに知らせた。ジョン・ペトルーシは全部わかってくれたよ。

 

僕たちは100%同じページ上にいるようだった。みんなが僕のところへ来て、僕のしていたことに気付いてた、といちばんうれしいことを言ってくれた。死にかけみたいに聞こえたり物欲しそうに聞こえたりするのはいやなんだけど、僕はみんなにそういうことを言ってほしかったんだ。僕は、人間はみんな、本当に好きなことのためなら、気付いたり、こまやかな気遣いをしたり、たくさんできると信じてる。僕がバンドのみんなをリスペクトしていて、その場にいられることを感謝していると、みんなはわかってくれてたんだ。

 

テスト1、2、3

 

MM:とにかく課題の3曲を演奏して、それはすごくうまく行った。それからテストになった。バンドのみんなが「じゃあ、ジャムをやろう」と言う。またしても僕が一番手だよ。それはバンドのみんなが長いこと一緒にやってきた曲というわけじゃないと思うし、僕はただみんなが行くところについて行った。みんなのしてることに応えながら、ただ流れに身を任せてるという感じだった。で、みんなでひたすら続けて、続けて、続けて「わあ、この間にもう達人になれるんじゃないか」と思った(笑)。すべてがとても自然に感じられたよ。どうしてかはわからないけど、みんなのやろうとしてることがわかった。

 

全部をゆっくり落ち着いてとらえてたからかもしれないし、単に人のすることを聴いてたり見てたりする僕のくせのせいかもしれない。僕は自分自身を見ない。ジョーダンと彼の指を見てたり、ジョン・ペトルーシの指を見てたり、マイアングの足を見て足先の動きを追ってたりする。彼がどこでビートを感じてるかがわかるから。

 

ジャムをやっていたのはどれぐらいかわからないな……とにかく続いた。それから「さて、まだ終わりじゃないんだ」と言う。ジョンとジョーダンが一枚刷りの楽譜を取り出した。「何てことだ。この人たちが楽譜を読むなんて。僕は何をやらされようとしてるんだ?」と思ったよ。彼らはいきなりこの曲を僕にぶつけてきて「この曲の拍子はこう。2/4、7/16、3/4、4/4、9/8」とか言う。「で、それを全部もう1回やるんだけど、5/8だけはやらないで、今度は代わりに7/8でやる」。僕がジョーダンをじっと見てたら、メモするかいと訊いてくれた。僕は眼鏡をかけて、鉛筆をひっつかんで「1度だけ教えて。表紙の数字を教えて」と言った。すぐに書き留めて、その紙をドラムに貼りつけて「僕も入れて。始めよう」と言って、あとは、やっつけた。

 

僕が受けたテストはそれで全部だよ。それが起こったことの全部。僕は笑顔になってたよ。すごく楽しかった。あの部屋にいてDream Theaterと一緒に演奏できただけじゃなく、彼らが最高に、本当に、すばらしいミュージシャンだと感じられた喜びというのは、説明できないよ。うおお、すごい特権をもらった、という感じだった。

 

で、起こったことはそれで全部。受けたテストは全部、可能な限りうまく行ったと思う。オーディションは2、3時間続いたけど、僕の気付いている限りでは、ミスはそんなに、または全然、しなかった。まあ、ひとつ残らず全部予定通りのドラムを叩いたか?となると、12インチのタムを叩かなきゃいけなかったのに10インチのを叩いたとか、そういうことはあったかもしれないけどね。でも曲としてのミスは全然しなかった。

 

で、3段階のオーディション [課題曲、ジャム、新リフ習得] が終わったら、それから質問タイムになった。僕を円の真ん中に置いて、みんな周りに座って、質問をしてきた。

 

JM:たとえば?

 

MM:うーん、おかしいな。会場に4時間もいたくせに……思い出せない(笑)

 

JM:ちょっときみの人柄や、やりたいと思っていることを探ったんだろう。

 

MM:そう、そんなことだよ。マイク・ポートノイへの思いや、この好機をもらったことへの思いを話し、もし僕をファミリーの一員に選んでもらえたなら、どういうことを持ち込みたいか、または持ち込まないか、ということを話した。

 

JM:で、それがオーディションの全部だったんだね。

 

MM:うん。終わったとき会場から出て行きながら「ドラマーの座を僕から奪いたいやつは、水面を歩くような離れ技をやらなきゃだめだぞ。やってやった」と思った。顔を高く上げて出て行った。そうしなきゃいけなかったからね。このバンドに入れない人生に戻ることを考えると、耐えられなかったから。

 

JM:きみのあとにオーディションを受けた他のドラマーたちの誰かと知り合いだった?

 

MM:アキレス [・プリースター、アングラ Angraの] とピーター [・ウィルドアー、ダーケイン Darkane の] 以外は全員知り合いだったよ。

 

JM:毎日2人か3人ずつだったんだね。

 

MM:うん。僕のオーディションは午後2時からで、デレク [・ロディ] が次だった。妙な話だけど、デレクが入ってきたとき、がっしりハグをして挨拶したいと同時にエンパイア・ステート・ビルディングに連れ去りたかった。突き落とすためじゃないよ、単に会場から出ていただいて、オーディションを受けられなくなってもらいたいなと!(笑)あのドラマーたち全員に対してそんな風に思ったよ。思わずにいられる?で、まだ言ってなかったらぜひつけ加えておきたいんだけど、あのオーディションを受けたドラマー仲間たちのことは本当に好きだからね。

 

JM:会場のドラムキットはどういうものだった?

 

MM:レンタルだったんだ。だけどジルジャン Zildjian が僕用のシンバルを全部送ってくれたよ。2バス、ラックタム4つ、フロアタム2つ、ゴングドラム。で、それは僕がセットしたものじゃないんだ。メインキットを組み上げたら、もう他の物が入る余地なんかなかった。それが、またひとつの一番手の本当に難しいところだね。キット全体を動かして自分に合うように完璧にセットし直している時間なんかなかった。キットを分解して運んで、なんてやっていたら身体的にも疲れただろうし、苦しいことになっただろうしね。だからゴングドラムは使わなかった。いずれにしても普段から使っていないものだしね。でも2つのオクタバンに関しては、キットの組み上げ方が僕のセットアップの好みの位置や角度とは違うわけで、シンバルの1つの下に来てしまってて、それで使えなかった。マイクがやったように演奏しようとするためには無理をしなきゃいけないこともあった。でも「いいぞ、他には何がある?僕は大丈夫だぞ」という感じだったよ。

 

JM:準備はできてるわけだしね。

 

MM:そう。どんな問題や困ったことに対しても準備はできてたよ。

 

大きな期待

 

JM:Dream Theaterでの演奏はどういうふうにしたい?

 

MM:ひたすら自分のドラムパートを演奏できるようになって、バンドのみんなについて行って、マイクのパートをリスペクトして、これからのレコーディングでは自分のすることをして、自分にできる限りたくさんのファンを楽しませたい。練習して、自分のドラムを成長させて、バンドのためにできる限り良い演奏をしたい。Dream Theaterのファミリーメンバーとして歓迎されたい。バークリーやクリニックやセッションや短期間のツアーよりもこの1つの仕事で自分を支えていけるようになりたい。

 

JM:今まで長いこときみを知っている僕から言わせてもらうと、それは全部、言うまでもなく、その通りになるよ。

 

MM:ありがとう。毎朝目を覚ますと、このバンドに入ってるんだということを感謝してるんだ。Dream Theaterのレコーディングやツアーの環境は僕が今まで関わってきた中でも最高に理想的なものだよ。

 

JM:そうだね、Dream Theaterは自分たちが幹部であって、自分たちですべてを監督できる。

 

MM:それから、こういうことに自分で気付くんだ。どんなバンドに入るのでも、またはどんなドラムポジションに就くのでも、僕は、ただそこにある状態そのままでいい、という面がある。僕は起こっていることを何も変えたくない。ただ自分のドラムを演奏したいだけなんだ。それだけ。それが僕のやりたいことなんだ。って、それをもう充分長いことやってるけどね(笑)

 

僕がDream Theaterでやりたいことは、Dream Theaterが既に作り上げている状態をリスペクトしながら、あの最高のドラムパートに追いつける限り追いつけるようになること。マイク・ポートノイがDream Theaterでやった演奏はすばらしいものだよ。僕はすぐ好きになる演奏だよ。誰が書いたどの曲だって、僕にとっては演奏するのは難しい。そう、"Walk This Way" を覚えたとき軽くなんて考えてなかったよ。ジョーイ Joey [・クレイマー Kramer、エアロスミス Aerosmith の] には独特のグルーヴがあって、それを模写するのが簡単だなんて思わなかった。スティーヴン・タイラー Steven Tyler との1回限りのギグをやるために覚える必要があったんだけどね。スティーヴンはこの曲がどんな風になるのがお決まりだと期待してるのか、推測したり解釈したりする方法なんてない。

 

誰かの曲をやるときは、音を近付ける方法を学ぶしかない。誰かと同じ音になることなんてできないんだから。でもマイクのした演奏に敬意を込めて言うと、超絶技巧のドラムパートというだけじゃなくて、独特のサウンドがあるし、彼のサウンドが生まれてきた、影響を受けた源はいくらか僕のと似たところがあるように思う。僕たちは2人ともRushやMetallicaが好きだから、そうなるのも自然なことだと思う。その一種の雰囲気のようなものを写していき続けたいし、今からやっていく中では新しいドラムパートも提案し続けたいし、それもDream Theaterであるようにしたい。

 

ファンからファンへ

 

JM:バンドに入ったら、何人もの人と結婚したみたいなものだろう。きみは前にバンドの経験もあるし、結婚が一体どういうものかも知っている。「こんなところや、こんなところではできなかった、俺のやりたいことを全部やるチャンスだ」と考えながらギグに来るやつもいるし、または「毎日自分の幸運の星を数えて感謝しながら、黙ってただ言われたことを何でもやろう」と思いながら来るやつもいるかもしれない。どちらにしても、好むと好まざるとに関わらず、人が何人もいるというのは大変なことだよ。いくらきみが巧いにしても、より巧いにしても、よりキュートだとしても何にしても、マイク・ポートノイはDream Theaterの帝国に確固たる位置を持っている。

 

MM:(笑)それはもう全部よくわかりすぎてるぐらいだよ。彼の音楽への取り組み方、演奏、両方からインスパイアされるし、すばらしいものだよ。

 

JM:ここで僕が言おうとしてるのはだ、こういうことだよ。きみが出て行ってその才能の輝きを見せたとしても……きみの輝きがどれぐらいすごいか僕は知ってるけどね。でも、それでもまだ、聴衆の中にはきみを引きずり下ろそうとするキッズがいる。そういうこと全部に対して準備はできてるかい?そういうことがあると見越してるかい?そういうことに打ち勝とうとしてるかい?

 

MM:準備はできてるし、そういうことがあると見越してもいるよ。なんてぶつかりがいのある問題だろう、と思うんだ。こういう展開になるとは、なんて、なんてすごいことなんだろう、と。準備はできてるよ。だって僕はマイク・ポートノイを知ってるんだし、とても、とても親しいんだし、個人的にも公的にも、僕がどれだけ彼のしたことをすばらしいと思っているか、本人に伝えてきたんだ。

 

僕はこのジャンルの音楽のファンだし、彼が演奏してきた音楽のファンだ。だから、間違いなく、そのすごさがわかるし尊敬しているんだ。僕はファンの1人のように感じているんだ。そう見えるかどうか別として実際ファンの1人だから。そして僕はファンが考えるであろう視点で、このことを考えてるんだ。僕だって聴衆の中で「この新しいやつって誰?どれどれ……」とか言ってる1人だよ。そのことについては、僕はあらゆる方法で準備ができてるよ。まずは、いつものように準備してショウで見せる。僕は全部の音を知っていると信じられるようになってきたよ。演奏の準備はできてるし、「マイクが良かった」とか「お前はやだ」とか、可能性のあることは何でも、誰かが言っているのを耳にする準備はできてるよ。でも僕がそういうことに対して準備ができるというか、本当にほとんど予期すらする余裕があるのは…… 確かに予期すらしてるよ、どれだけの人が僕を歓迎してくれないのかは不明だけどね……そんな余裕がある理由は、人間の本質っていうのは僕にはどうしようもない、ということなんだ。僕はただの僕自身であって、僕がみんなを作ったわけじゃない。みんなはみんなであって、それぞれが動くように動くし、それに異議をはさむ権利は僕にはないんだ。僕はただ、それに対してなんとかうまく反応しようとするだけだよ。それしかできない。今までのようにマイクへの敬意を払い続けるだけ、以上。そして僕は本当にそうしてるんだからフリをする必要がない。

 

マイクはDream Theaterが僕に結果発表の電話をする前に、僕がいちばん交流していそうにない人の1人だけど、交流してたんだよ。だから僕はここで何も嘘をつく必要がないわけだよ。彼に戻ってきてほしいと思う人がいたり、僕を好きではないという人がいたりしても、それはしょうがないよ。僕はそこからやり方を学ぶ努力をしようと思う。もしそういう人たちが僕に望むことを僕がしてないなら、どういうことをしてないのか見つけ出して、向き合っていくよ。

 

で、そういう人たちが、単にドラマーが僕ではだめでマイクであってほしいと思ってるなら、少なくとも論理的にこう考える。「まあ、こうなるのはわかる。そう思う人たちにとっては、マイク以外は他の誰でも好きにはなれないんだ。それが誰だろうとも」または、僕が今までの人生で出会った人が287,000人ぐらいいるとしてその中の6人ぐらいは、たぶん僕が名誉を汚されたり、勢いをそがれたりするのを見たいと思ったり、何か僕が言ったり、したり、意図したりしたことのせいで、これからもずっと僕がきらいかもしれない。そういう人が1人は聴衆の中にいるかもしれない。でも少なくともそれも理解はできるよ。「ああ、OK。僕があの人たちを遠ざけたのは、あの人たちが境界線を乗り越えてくるようなことをしたからで、それであの人たちは僕が好きではないんだ……理由はそれだ」と。

 

もし僕が何もかも的確に演奏できるなら、ほとんどの人が気付いてくれると思うし、いちばん大事なことだけど、バンドのみんなが気付いてくれると思う。

 

ミスはだめ・貝もだめ

 

JM:きみがほとんどの人に対してフレンドリーなのは知ってるよ。オーディションを受けた他のメンバーたちに対してどうかはわからないけどね。オーディション後、お互いにコミュニケーションはあった?どうだったか話し合ったりはした?

 

MM:グループ送信のEメール1回だけだよ。だからそんなにコミュニケーションがあったとは言えないね。すごい緊張感だったんだよ。

 

終了後は、待つという、何日続くかわからない最悪の日々だった。一体何日だったのか覚えてないよ。本当にオーディションのことは遮断してしまいたかったんだ。なぜなら僕は……あそこに海が見えるよね? [マイクは窓の外の大西洋を指さす]

 

JM:いつでも飛び込めるね。

 

MM:実際、妻にこう言ったんだ。「もしオーディションに受からなかったら、車で海に入って出てこないから。貝と一緒に寝るよ(+ミスと共に眠りにつく)」って。

(訳注:英語原文 I'm going to sleep with the clams. "clam" = 「二枚貝」「音楽演奏のミス。間違った音」)

 

JM:(笑)きみを知ってるから、そう言ってる現場が目に見えるようだ。

 

MM:僕のユーモアのセンスはおばかさんなんだよ。知ってるでしょ。きみも僕も『バッグス・バニー』"Bugs Bunny" と『三ばか大将』"Three Stooges" のファンだから、きみは僕の言ってる意味がわかるよね。だけど妻はそうじゃないからさ、もっとシリアスな人だから、僕を見て「本気でそうするの?」って。僕は「いや、しませんよ。しませんけどね、したいぐらいだっていう意味だよ。このオーディションの機会は、それぐらいのものなんだ。毎日お祈りしてるのもこのためだからね」

 

それから、そんな気持ちになった理由としてずっと強く感じてたんだけど、オーディションが終わったあとから、僕はあのバンドのみんなに会えなくなるのが寂しかったんだ。あのみんなといると何もかもがとても自然だった。無理をしなきゃいけないことが何もなかった。マイクのDVDを全部観て勉強したあとの今と変わらなかったんだよ。今は彼がどういう演奏をするか全部知ってる。彼がどういうことを言うかも知ってる。彼がどう考えるかもわかると思う。彼が戻ってきたかったなんて、たまらない気持ちだよ。バンド側に僕は本当に、本当に、彼がDream Theaterを離れて楽しくやってるんだと信じてたから。

(訳注:ポートノイ氏は脱退後にやはり戻って来たいとDream Theater側に連絡してきたが、そのときには既にマンジーニ氏の参加が決定しバークリー音楽大学の職も辞したあとだった)

 

とにかく、僕はマイク・ポートノイという人について学んだ。今振り返ってみると「わあ、もし [前に] これを全部知ってたら、オーディションはもっとうまくやれたかもしれない」と思う。僕はマイクのするようなことをやってて、そうとは知らずにいた。でも全部がとても自然だった。

 

あとになってから、僕は本当にオーディションのことをいろいろ振り返り始めた。バンドのみんなのことも振り返って、みんな演奏も人柄も最高で、人間としてすごくいい人たちだったということも振り返った。もし、あのみんなが僕にバンドに入ってくれと言ってくれるなら、僕はみんながすることの邪魔にならないようにしたい。それをみんなにわかってほしかった。そんなことはバンドが新メンバーに望むことの中には入ってなかったけど、僕は、それもあるんじゃないのかなと思った。このバンドにもし入ったら、僕はどういう立場になるか?ということを、よくよく考えたよ。みんながまだ慣れ親しんでいない、今までと違う人物なんだ。マイクはバンド関連の全部のことに関わっていた。

 

JM:マイクはすごく存在感があるよね。

 

MM:すごく存在感があるよね、うん。僕はそうはならないよ。実際、僕はバンドのみんながその辺のことをどういう風に感じてるのか、じっと静観してみようと思ってる。ジョン・ペトルーシとジョン・マイアングはこのバンドに25年いるんだ。2人はどういう風にしたいんだろう、と思う。僕はどうこうする立場ではないよ。いちファンとして、こんなことを思ったよ。「ジョン [・ペトルーシ] とジョーダン [・ルーデス] の2人にはあのすごい演奏があって、マイアングにはあの凄腕があって、ジェイムズ [・ラブリエ] にはあの声がある……このバンドのみんなが、自分たち自身にどういうことを提案していくんだろう?……これはすごいことになるぞ」ってね。ファンとして、邪魔にはならないようにしていたいんだ。

 

で、オーディションのあと、僕はバンドのみんなに会えなくなることが寂しかった。寝不足になったよ。バークリーでの教職に戻ったけど、オーディションの3日目には実際、外に抜け出さないとだめだった。外に歩いて出て行って、そのまま職場放棄しそうだったよ。

 

JM:待っているのに神経が耐えられなかったんだな。

 

MM:そう。オーディションはまだ続いてたんだ。[教職の] 休み時間の間、道を渡って教会へ行って、ただ静かに座ってたよ。

 

これは夢か

 

JM:実際に結果発表の電話をもらうまで、オーディションからどれぐらいだったの?

 

MM:ああ、それがねえ。さっき言ったように、そのことは考えないようにしてしまってたんだ。一生分待ったみたいだったよ。

 

JM:また別のドラマーたちを集めて、オーディションの第2弾をやろうとしてるなんて噂もあったよ。

 

MM:今、僕がバンド側から聞いている話からすると、それはでたらめだね。僕がオーディションにしっかり受かったにしても、スレッスレで受かったにしても、受かったのは僕なんだ。それで正式決定なんです、悪しからず。で「Dream Theaterが誰かと何ヶ月もリハーサルをやっている……」なんていう噂もあったけど、その誰かというのは僕で、でもリハーサルはしてなかったよ。

 

こんな具合だから、僕はオーディションを受けるとなると、ものすごい恐怖を感じるんだ。いつでも全人生をかけるよ。今までオーディションを40回かそれぐらい受けたんだけど、そのうち15回か16回ぐらいは、1位の座を獲得するために筋金入りの最高水準の戦いをしないといけなかった。僕はいつも自分よりもっと努力して練習してる人がいる、と思うんだ。特にここ [ボストン] の出身だからね。僕たちのふるさとは、たくさんのオーディションとすごい演奏家たちの養育場みたいなものだよ。きみはメジャーシーンでプロとして演奏活動を始めたのが17歳だっけ?ね!

 

JM:うん、でもこれはきみの話だってば。僕の話じゃないよ。

 

MM:うん、でもさ、要は才能を発揮して活動する、ってことについて話をしたいんだ。きみがロンドンにいて活躍してた頃、僕はまだ家にいて鼻をほじってたんだからね。

 

JM:でも今はこうなったんでしょうに。単にプロとして演奏活動をするというだけじゃなく、数少ない「スーパードラマー」の1人で、居場所も得て、大規模な場でその才能を発揮できる。世界には他にもドラムの怪物たちがいて、そしてその彼らを悪く言う意味では決してないけど、その彼らでも、今まできみが参加してきたたくさんのレコードでさえもそうだけど、必ずしも大人数の人たちが聴くわけではない場合もある。ところがきみは何年もかけて技術を磨いて、そしてその技術を人に教えて、更に今かつてない規模で世界に対してその技術を見せる場を得た。すごいことだよ。

 

MM:そんなことになったから自分で自分をつねらないといけないんだよ。毎朝起きたら、自分の個人的な演奏技術を成長させなきゃってこととDream Theaterのことを考える。自分に起こっていることを考えると、すごい、なんてすばらしいときが来たんだろう、と思って笑顔になるよ。ふー、一体どうやってこうなったんだ?と思う。

 

本当に自分のしたい仕事を追求するときには、みんな必ずこういう風に思うよ。そう思うはずなんだ。「自分がこの仕事をする上で最優先すべき相手は誰だろう?」って。その相手になる人たちが考えることについて考えて、その理由を考える。そうしなきゃいけないんだ。成功を収めたビジネスってどんなものでも全部、もしその環境に合っていなかったら成功してないんだよね。「ビジネスの法則101」だよ。環境に合わないビジネスは失敗する運命にある。だから他の人たちの考えることや言うことについて考える。こちらがどういうことをできるか相手が知らないときには事が難しくなるけどね。

 

つまりドラマーの場合は相手がどういうドラミングを好むかは気になるものだし、こりゃ自分の参加曲をひとつも聴いたことがないなと確信に至るようなことを背後でひそひそ言われたら気になるものだよ。クリックに合わせて5分演奏してみたこともなく、スタジオでレコーディングしてひとつでもミスしたらだめという状況に挑戦してみたことがない人でも、グルーヴについてはやかまし屋という人は、けっこういるんだよね。そういう人たちだって、文句を言う特別な技術を身につけるべきだと思うよ。ドラマーは全員技術が必要なんだからさ!僕にとっては、そういう文句を言う人たちこそ、ドラムで何かを完璧に遂行することの複雑な難しさを知らないように見える。そういう人たちの言うことが気持ちに影響すると認めるのはいやなんだけど、でも、影響するんだよね。そういうものだよ。

 

今までの、そしてこれからのドラミングに関しては、僕は技巧的プレイヤーと分類されるドラマーたちの中に入る結果になって、そのことはうれしいよ。で、その結果、大勢の身体能力のすごさで売っているドラマーたちに追いつかないといけなかったんだけどね。それが僕の仕事だったし、それでお金をもらってたわけだからね。大学で教えたり、ドラムクリニックをやったり、セッションをしたり、たまに短いツアーもやったり、って、正直に言うと、すごく楽しかったよ。

 

JM:仕事の話が出たところでDream Theaterの話に戻って……このバンドではたくさんツアーをするだろう。きみは2人の小さな子供たちと奥さんが家にいるけど。

 

MM:その点は完璧に大丈夫なんだ。バンドの決定事項の中に、みんな家族と過ごす時間を持つということが入ってるんだ。このバンドは僕にとって完璧だよ。まるでボストンで交通渋滞に引っかかりませんようにというあの毎日のお祈りが叶ってしまったような感じだよ。毎日起きたら唱えたいぐらいだけど、あのバンドのみんなは本当に素朴で、実際に人柄のいい人たちなんだ。そのみんなが僕に、これから価値あることを教えていってくれようとしてる。新アルバムの制作中だけど(訳注:"A Dramatic Turn Of Events" 2011年9月発売)、その音楽に、あの狂気的なすごさの、まさに生粋のDream Theaterの音楽に、ぶっ飛ばされてるところだよ。

 

「離れ」業の序曲

 

JM:今のところ、新アルバムの曲を書くのはどういう風に進んでるの?

 

MM:今のところは、僕は関わっていないんだ。

 

JM:バンドのみんながきみに音源を送ってくるの?で、もしそうなら、その音源には、クリックとか、ドラムマシーンとか、プログラムされたドラムの音とか、生のドラムの音とかが入れてあるの?

 

MM:同じ曲に対して、ドラムマシーンの音が入ってる音源と、入ってない音源をもらうんだ。そう僕が頼んだんだ。

 

JM:プログラムは誰が?

 

MM:ジョン・ペトルーシだよ。彼がドラムについてどういう風に考えたり感じたりしてるのか知りたいって、僕が言ったんだ。彼のギターと融合していい感じになるのはどういう演奏だと彼自身が感じてるのか知りたいんだ。いろんなことを学んで、追いついてきてるよ。本当にあれこれ、こんな風に思案した。「ここはファンだったらどんな演奏がいいだろう?マイクだったらいつもどうするだろう?僕のすることが彼と違うのはどういうところだろう?僕のすることが彼と同じなのはどういうところだろう?これを試させてくれ、あれも試させてくれ」って。実際にそういうことをしばらく考えてていい状況なんだから、うれしいよ。

 

JM:もうレコーディングした分はある?かつ/または、きみが何かアイディアを出したところはある?

 

MM:ジョンが僕にデモを送ってくれたんだ。彼は僕に何も注文はしないで、ただ「チェックしてくれ」と。僕はそれをひっつかんで「彼が考えているより早く返してやるぞ。彼が期待している以上の演奏を入れて返してやるぞ。17マイル先を行ってやる」と思った。

(訳注:17マイル = カリフォルニア州の太平洋沿いを走る美しい景観の道路17-Mile Driveから来ている?と思われます)

 

で、僕はそれを譜面に起こして、うちのスタジオに入って録音した。いろいろ試したあとワンテイクをやってみたんだ。OKな出来だったよ。自分で聴いて、ふと思いついて妻に聴かせてみたんだ。そしたら彼女は「遠慮してる」と言った。妻はミュージシャンじゃないんだけど、でも「あなたのことは知ってるから。遠慮してる」と言った。で、彼女の言うことはまったく正しかったんだ。僕は「わかるだろ、やりそこないとか、やりすぎが怖いんだよ」と言った。

 

とにかく、もうワンテイクやって、今度は思いきりやってみた。ここで原点に帰ったんだけど、オーディションのときに全部のことがとても自然に起こったから、僕の気持ちとしては、それをまたやりたかったんだ。ただ自分である、ということを。あれこれいろいろ考えすぎないで、ただ自然に出てくるものを演奏する。もし変なことをやっちゃってたら、ジョンが教えてくれるだろう、と。

 

JM:それで、レコーディングが始まってから2、3週間なわけだけど、進行計画はどんな具合?リハーサルやプリプロダクションの計画は?スタジオに入る前に演奏することが決まった上で合流するの?それとも、全部スタジオで決めるの?

 

MM:全部スタジオでやるよ。僕は自分のアイディアを可能な限りしっかり準備して行くよ。ジョン・ペトルーシが彼の考えを僕に教えてくれることになってるんだ。僕は全力で要望に応えるよ。

 

JM:じゃあ、曲はもう全部譜面があって、準備ができてるんだね。

 

MM:うん。マーカーつきのPro Toolのファイルと、演奏を合わせていくのに使う初期段階の音源があるよ。

 

JM:この進め方は、他のメンバーたちがそうしたいと言ったの?それとも……

 

MM:両方だよ。僕もこういうやり方を考えてたよ。本当に新アルバムの曲の創作中にはその中に入り込んでいきたいとは思わなかったし、作曲を進めていたメンバーたちも同じように、誰にも入ってきてほしくはなかった。みんなが同意したことなんだ。僕が入り込んでいきたくなかったのは、僕の考えがたぶん邪魔になってしまうと思ったからだよ。僕はただ個人的にドラムパートをいろいろ試すことで曲を身につけて、みんなと合流できる形にしたかった。そして、それはジョン・ペトルーシも望んだことなんだ。

 

JM:シャレは抜きで、本当にドリーム・ギグみたいだね。

 

MM:スタジオでも、自分に何か選択肢がある場合には、自分の心はどうするのがいいと言ってるか、という考えを基準にして動いてるよ。それで迷走してしまったことはまだないよ。世界ツアーをする生活から離れたときだって、そうやって考えた結果、家庭を築いて、それまでよりも安定した気持ちで過ごすひとときを得られたわけだしね。学校でパートタイムで働くことにしたら収入がそれまでの3倍近くにもなることになったし、それから、クリニックとかセッションとか、それまでよりも報酬のいいギグの仕事を引き受けられるようになった。稼げるようになってきた。その時期がなかったら、この状態 [家/家族] は存在してないからね。絶対無理だよ。

 

JM:では、これからのスケジュールや計画は?

 

MM:まずツアーがあるんだ。過去の曲をやるよ。

 

JM:新アルバムをレコーディング中だけど、それを棚上げにして待機中にしておくってこと?

 

MM:そうなんだ。(訳注:2011年)7月4日からツアーを始めるんだよ。

 

JM:そして、それからアルバムが出て、またすぐツアーに戻るんだね。

 

MM:そう。そうなるね。待ち遠しいよ!

 

夢のドラムキット

 

JM:今のきみの新しいドラムキットの話をしよう。いつでも使える準備万端の状態で長いこと待機中で、このツアーのためにデザインされてると言ってたね。

 

MM:ドラムキットについては、僕もDream Theaterの「事情通」ファンに負けないぐらい完全に100%よく知ってるよ。マイク [・ポートノイ] のドラムセットは何年もの間に進化していったんだ。彼のキットはバスドラムがまず24インチで始まって、それから22インチになった。彼は右側に小さなバスドラムを加えて、それから26インチのを使った。

 

昔、電子音打ち込みとか「ドラム&ベース」がはやって以来何年も、僕はラップやヒップホップのプログラミングとか、広い意味でのドラムプログラミングの大ファンなんだけど、「タムタムなしで、フィルもなしで、音程の違うバスドラムをいくつも使ってやってしまうってところがすごくクールだな」と思ったんだ。

 

ミュージシャンとして、僕たちドラマーはひとつのバスドラムからいろんな音を出せる。僕も出せるよ。すごく小さなキットを使って、そこに座って1日中でもあらゆる音程を出し続けられるプレイヤーもいる。かっこいいよね。そういうのも大好きだよ。だけど、僕は古典的な練習をして育ったミュージシャンで、マーチングバンドのドラム楽隊のドラムをひととおりやったんだ。そういうコンテストにも出ていたし、それは僕の一部なんだ。それで僕は「そうだ、マーチングドラムをバスドラムでやるっていうのは、いいんじゃないかな。聴く人たちの体の中まで振動が行くぞ」とか考え始めた。サイズの違うバスドラムや種類の違うハイハットを複数セットすることや、スネアドラムを2つセットすることを考えた。そんなセットを操れるように訓練してきたんだ。僕がタムタムをたくさんセットしているのは、1つのドラムにつき1つの音程を出せる状態にして、ギターリフを、それに近い音程の上がり下がりで追いかけたいからなんだ。

 

'80年代にさかのぼるけど、僕は左利きプレイを勉強した。全部を反対にしたんだ。ドラムキットにペダルをつけて左右逆の操作をするのが左利きプレイというわけじゃないよ。左足や左手で何かを鳴らすのが左利きプレイというわけでもないよ。ライドシンバルを左側にセットしたって……サイモン [・フィリップス] の影響でそうしてみたんだけどね。それでもまだ、左利きプレイというわけじゃないよ。プレイ自体を左右反転させなきゃいけないんだ。

 

一度、サイモンがドラムクリニックのあとに僕を脇のほうへ引っ張って行って、左右反転をやりたいんだけど、そのときはまだやっていなかったか、できなかったか、という話をしてくれたことがあった。彼は足を反転させてみようとして、僕が発見したのと同じことを時間をかければうまくできるようになる、ということをはっきりと発見したんだ。

 

で、僕も左右反転をやりたいと思ってたんだけど、サイモンと僕が違ったのは、サイモンは他にも仕事があるミュージシャンだったという点で、他にも仕事があるミュージシャンだと、こういう他のことをする時間がないんだよね。だから明らかにそれが、サイモンが左右反転に挑戦するのに充分時間をかけられなかった理由なんだ。でも僕は、それをやる時間があった。毎週、何種類もの練習をして、ギグさえも左右反転で挑戦し始めたりして、6年かけて取り組んだんだ。完全に没頭したよ。

 

それから僕は認知科学を勉強し始めて、左右反転で演奏するのは、事実問題としてゼロから演奏を学ぶのより難しいことなんだとわかった。脳の中で体の動きが音と結びついてるからすごく難しいんだ。たとえば、右利きだったらハイハットの「シャー」という音が体の動きと結びついて合図になってて、右足が出てバスドラムを鳴らす、それから左足でハイハットを閉じる、という具合だよ。それを左右反転させようと思ったら、うまくできなくて心が折れそうなぐらいだよ。記憶というのは書き換えられないから、ゼロから始めるより難しいんだ。人間はいらない記憶をごみ箱にドラッグすればいいというわけにいかないもんね。永遠に持ってることになるんだ。だからそれは僕が考えてたより難しいことだったんだけど、粘ってやり続けたよ。

 

左利きプレイでギグをやってしっくりくるまでに6年かかった。あるコピーバンドのオーディションを受けたことがあるんだけど、行ってみるとドラムセットは小さな4ピースのものだった。20インチのバスドラム、ロートタム2つ、右足で操作する側に18インチのハイハット、それからシンバル1つ。そのバンドの人たちは僕がもうAnnihilatorのレコードとかに参加したことがあるなんてことは一切知らなかったからね。って、そんなことより、そのオーディションでAC/DCの曲をバスドラムを鳴らす足を左にしてやったんだけど、自然にそういうことができるまでに6年かかった、ということが言いたいんだ。

 

でもキットの話に戻るね。

 

(訳者補足: キット組立の映像(早送り)(36秒) 外側を1周してみる映像(1分3秒)

 

僕はスネアドラムやバスドラムは複数あるのがいいと思ったんだ。いちばん大きいバスドラムが左側にあって、それを鳴らすときに脳内の音と体の結びつきを本当の完全な左利きプレイに素早く変えないといけないんだ。とにかく、その左右反転を訓練したのも全部報われたというものだよ。明らかにそのおかげで、このキットを使いこなせるんだから。その訓練のおかげで [左右どちらの足でも] ハイハットを開いたり閉じたりしても妙な感じがしないというところまで来られた。そして今は、僕の左足は実際、右足よりだいぶ力があるんだ。あのお粗末な技術の結果の、手術のせいでね。でも、まだ完全に左利きプレイをマスターしたというわけではないんだ。

 

それで、今、僕はマイク・ポートノイのドラムキットの進化を全部学んでいきながら「わあ、僕の場合は小さいバスドラムも大きいバスドラムもキットのデザインに組み込んでしまって自分のプレイにも組み込んでしまったけど、マイクは右側にバスドラムの小さいのを置くか大きいのを置くか選んだんだな」という具合に、気付いてるところなんだ。

 

この進化を見ていくと、自分のドラムセットを見たときに「全部入ってるじゃないか。まったく、こうなるべくしてなったんだ。この右側にはSix Degrees Of Inner Turbulenceのあの演奏が、この左側にはOctavariumのあの演奏が入ってる」という風に思うんだ。

 

そしてこのキットの何がいいって、イスから立ち上がらなくていいんだよ。全部がちょうどいいんだ。それから僕がDream Theaterで使うドラムキットは全部マホガニー製の予定なんだ。だから2つある22インチのバスドラムは24インチ並みの音がする。だけどプレイは22インチが1つだけのような感じなんだ。で、なにしろ僕は身長が2フィート半なもんだから(訳注:おそらく5フィート半(約167cm)を2フィート半と言ったジョーク!)24インチのバスドラムを相手にするのはいつでも大変だったんだよね。小柄なのが理由で、ずっと昔、タムタムでは位置が高すぎてロートタムを使ってたよ。

 

で、左利きプレイの練習も、心のままにドラムセットを発展させていったことも、全部報われようとしているよ。たとえ批評がたくさんあろうともね。クリニックに行ったら「どうしてハイハットが4つもいるの?ジョーク?」と言われるかもしれない。そしたら僕はこう答えるよ。「音楽を作り出そうとしているからなんだ。僕の音も、ポリリズムの勉強も、手足の技術開発も、全部音楽のためなんだ。悪いけれども、僕の場合は本当に、まずは実践してみないといけないんだ」

 

そして、そう、僕は今後、曲を演奏してるところを映像に撮られることになる。エンターテインメントのみの目的でね。見た目で楽しませたいと自分で思った場合には音楽的にならないこともある。とにかく、そういう場合まだ音楽的にできないときがある。僕にはまだその能力がない。まだまだ身につけていない。ステージで実践を積んでいくしかない。実践しないことにはどうにもならないからね。他にそういう能力を身につける場がどこにある?

 

僕がそういう見た目のエンターテインメント的なことをやってる映像がYouTubeにごまんとあるけど、つくコメントといったら、ほとんどが「グルーヴがない」「演奏技術がない……」その人たちは僕が今までに受けたジャズバンドのオーディションで審査員の中に入ってた人たちか?と思うよ。わかってもらえる?

 

JM:うん、わかるよ。僕が唯一YouTubeに苦情を言いたいのは、みんながコメントを投稿できる機能についてだ。だいぶ前にヴィニー Vinnie [・カリウタ Colaiuta] の、ジミ・ヘンドリックス Jimi Hendrix の曲のスタジオレコーディングについて否定的なコメントを読んだのを覚えてるんだけど、ヴィニーに向かって「こいつは曲を台無しにしてる」なんてコメントを投稿する誰かや、デイヴ・ウェックル Dave Weckl の髪がどうしたとかコメントを投稿する誰かには、何て言ってやったらいいんだ?こんないやなコメントを読んだら自分のパソコンを窓から投げ捨てたくなるよ。ウェックルみたいにプレイできるなら頭を剃るぞ僕は。

 

MM:ヴィニーやデイヴのスティックバッグを運べるなら頭を剃るよ僕は!

ともかく、きみの意見は100%正しいよ。でも、そういうオンラインのコメントっていうのは10年たったら誰も知らないっていうものでもあるよね。YouTubeって、そういう荒っぽいものだよ。僕に対して荒っぽいこともあるし。

 

JM:でも、そういうコメントに対しては誰も免疫なんかつけられないだろう。きみや僕は人間であるだけでなくアーティストでもあるんだし。

 

MM:「アーティスト」と言われるのも、僕にとってここ2、3年は、みんなが気付いているよりつらいものがあったよ。いつも僕と一緒にいる人たちを除いてはね。なにしろ演奏ができなかったんだから、その点では幸せではなかったし、とても、とても大変な時期だったよ。10年間は1日に何時間も仕事をしてたから、きちんとした練習もできなかったし。練習できないというのは自分じゃないみたいな気がするんだ。そんなのは僕が第一に望んでることじゃない。練習できないと元気ではいられないよ。それが本当のところなんだ。

 

でも、日頃の練習は10年間もできなかったけど、あの A Drummer's Dream(訳注:ドラムクリニックキャンプのドキュメンタリー映画。ジョン・ウォーカー John Walker監督。2010年公開。マンジーニ氏を含め7人の凄腕の先生たちが参加。 サイト にデジタル版の販売とレンタルあり。DVD日本盤はなし)のみんなとのクリニックキャンプには大きな影響を受けたよ。自分の音楽的な技術を使うことに集中して、オラシオ Horacio [・エルナンデス Hernandez] と一緒に30回ぐらいのクリニックを通して、ラテン音楽の演奏にしっかり集中して取り組んだんだ。僕は左右の手足全部で複数のカウベルを演奏するようになったよ。デニス Dennis [・チェンバース Chambers]、ラウル Raul [・リコウ Rekow]、ジョヴァンニ Giovanni [・イダルゴ Hidalgo] と夜遅くまで大いに語った。そのキャンプ中に、オラシオからは本当に影響を受けて、僕はすっかり変わったんだ。

 

夢のようなチャンス

 

JM:本当に、いつ何が起こるかわからないものだね。世界中のみんなが、きみを見たら「マンジーニはすべてを手に入れている」と思うんじゃないのかな。

 

MM:家族がいて、友達がいて、健康であって、仕事もあって、今のところはそんな具合になってるね。振り返ってみると「はて、どうやってこんなことが起こったんだろう」という感じだけどね。だけど、どうやって起こったかは知ってるよ。僕が自分にキレて、自分に与えられた能力を使ったり、伸ばしたりするのを何にも、または誰にも邪魔させないと決めたからだよ。

 

こういうことを選ぶ自由があるうちは、自分の能力を使ったり伸ばしたりするのは義務のようなものだと僕は考えてる。自分のすべきことに没頭したんだ。だけど、そういうことをするためには、僕のそばにいる人たちが必要なんだと改めて思い出させられたよ。僕は音楽をやるのは人と一緒がいいいんだと気付いたし、人と一緒にやることで、僕は自分に可能な限りベスト中のベストの演奏ができるようになるし、また、そうしたいと思うことにもなるんだ。大好きな、そして今でもやりたいと思うドラムクリニックのときでさえも「人と一緒に演奏したい」と思うんだ。ソロアーティストでいるのは寂しいよ。

 

新しい仕事の環境を作り出すというのは大変なことだし、エディ・ジョブソンや、僕を呼んでこの雑誌に載せてくれたきみみたいに、何人もの人が関わってることなんだよね。きみは僕のことを忘れずにいてくれた。パール Pearl、レモ Remo、シュア Shureジルジャン Zildjian も僕のことを忘れずにいてくれた。僕は2000年代には目立った動きはなかったのに、だよ。そういうサポートが大きな助けになるんだ。自分のことを忘れずにいてくれて、自分が弱ってるときに攻撃せずにいてくれる人がいるというのは、ものすごく大きなことなんだよね。弱ってるときに攻撃されるってことが起こるからね。人って時として、弱ってるからこそお互いに攻撃し合うんだよね。だけど誰かが何かしてくれるときには、きみや、エディ・ジョブソンや、きみのように僕を助けてくれるドラマー仲間のマルコ・ミネマンがいる、という具合だよ。マルコはエディに僕のことを推薦してくれた。マルコはいつもあらゆる点でジェントルマンだよ。ヴァージル [・ドナティ] もいつもとても力になってくれる。ヴァージルとはよく、これからの人生について話をするよ。次にどういう練習をするかという話もするんだけど、僕たちが練習の話をするというのを信じたり理解したりしてくれない人もいるんだ。「こいつらもとりあえずは人間だ」と、よく考えてわかってくれるまでね。

 

何だって難しいよ。僕も曲は練習するまで演奏できないよ。何か演奏できないものがあれば、挑戦するか、挑戦するまでお預けだという事実を受け入れるか、どちらか決定しなきゃいけない。でもそれはそんなに手間のかかることじゃない。内心「この野郎」と思ってるなら僕は絶対に全部挑戦せずにいられないしね。そういう個人的な成長を全部わかってくれて、賞賛してくれる人がいるということが、とても助けになるんだ。

 

それで、どうやってこんなことが起こったかというと……毎日お祈りをして、ひたすら没頭して、それからこんな風に考えたからだよ。「僕はやれる。僕がやれると信じてくれている人たちを裏切ったらだめだ。家族、家族のような仲間、友達、ドラマー仲間、提携している会社、それから、僕が自分に与えられた能力をうまく使えると信じている生徒たちのためにも、やらなきゃいけない。そして最終的に、僕にこのチャンスを与えてくれたDream Theaterファミリーのために」