Paradise Found

好きな音楽関連の英語和訳や諸々です。My Japanese translations (from English) and various things related to my favorite music.

Mike Mangini インタヴュー和訳 2011年5月 DRUM!

初出:2011年5月 別ブログに投稿

 

【背景情報】

 

ドリームシアター Dream Theaterサイト)創立メンバーでありドラマーのマイク・ポートノイ Mike Portnoy が2010年9月8日、脱退を発表。

 

Dream Theaterはバンド再建のため、凄腕ドラマー7人を集め2010年10月に新ドラマーオーディションを実施。

その模様をドキュメンタリー映像に収録し2011年4月YouTubeで公開。

 

Episode 1 動画 :マイク・マンジーニ Mike Mangini

Episode 2 動画 :デレク・ロディ Derek Roddy、トーマス・ラング Thomas Lang、ヴァージル・ドナティ Virgil Donati、マルコ・ミネマン Marco Minnemann

Episode 3 動画 :アキレス・プリースター Aquiles Priester、ピーター・ウィルドアー Peter Wildoer、合格発表

 

日本語字幕付きの映像がアルバム "A Dramatic Turn Of Events" スペシャル・エディション日本盤(2011年9月発売)(amazon)付属DVDに収録されています。

 

上記YouTubeやDVDではカットされているマイク・マンジーニとのジャム演奏の映像を収録したUSBがアルバム "Dream Theater" ボックスセット(2013年9月発売)(amazon)に付属しています。

 

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My Japanese translation of the Mike Mangini (webisite) interview.

The original English interview: DRUM! website, May 2011

 

マイク・マンジーニ Mike Mangini(サイト)インタヴューの和訳です。

原文:アメリカのドラム誌 DRUM! サイトで2011年5月公開

  

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(画像:原文ページにないのですが勝手に追加させて頂きました!

Dream Theater オーディション映像 Episode 1 より。

"The Dance Of Eternity" 冒頭を片手で叩き、もう片方でスティックキリキリ、ジョン・ペトルーシ氏をガン見しながら不敵な笑みという驚異の瞬間)

 

いかにしてドラマーの座を得たか マイク・マンジー

 

6ヶ月もの箝口令に耐え抜いたのち(訳注:マンジーニ氏がDream Theater新ドラマーオーディションを受けたのは2010年10月18日、合格を知らせる電話は2010年10月末か11月始めだった。オーディションのドキュメンタリー映像公開による新ドラマー発表は2011年4月28日。それまでマンジーニ氏もDream Theater関係者も情報が世間に漏れないようにしておかなければならなかった)、

マイク・マンジーニがついにDream Theaterオーディションの過程と、熱望したドラマーの座に就くため受けた試練について明かした。マイク・マンジーニ対世界一の超人的凄腕ドラマーたちとなれば、闘いはひかえめに言っても熾烈であった、と言えるだろう。当誌は去る金曜(訳注:2011年4月29日)、Dream Theaterが新ドラマーはマンジーニだと発表したわずか数時間後、その男、世界最速ドラマーであり、スティーヴ・ヴァイ Steve Vai の元共演者でもある彼に、ボストンの自宅にて会うことができた。彼はこの朗報をご家族と一緒に祝っているところに、この当誌の長時間に及んだインタヴューを親切にも押し込んでこなしてくれた。そしてこれが、バンドの公表後初のマンジーニ氏ロングインタヴューである。

 

DRUM !:トーマス・ラング、マルコ・ミネマン、ヴァージル・ドナティ、デレク・ロディ、アキレス・プリースター、ピーター・ウィルドアになくて、あなたにあったものとは何でしょうか?

 

マンジーニ:たぶん、僕を選んでもらえたのは、既にあるドラムパートにリスペクトを持ってぴったり合わせながらも、聞こえてくる他のバンドメンバーの誰かの演奏と合わせたいときには飾りもつけるという、僕のドラムの叩き方が理由じゃないかと思う。他の理由は思いつかないよ。あのドラマーたちは全員それぞれ、何か独自に「最高」のことをできるんだからね。それにしても、僕はこのオーディションは結婚を申し込むみたいなことで、「ギグ」という言葉通りの普通の意味ではないように思うよ。

 

僕のサウンドのことで言うと、ドラムセットにいる自分以外の人にはどう聞こえるのか録画を通して確認することに時間をかけたんだ。主に確認したのは、以前の、自分の音の聞こえ方が好きではなかったので直っているかどうかと、右膝を治療した結果どういう音が出せるようになったのかということだよ。自分の見た目以上の力を込めて打つこと、急ぎすぎるくせがあったのをどうやって止めるかということにずっと取り組んできたんだ。そうしたことが、Dream Theaterとの演奏の結果になったはずだと思う。やってくれと言われることすべてに、かろうじて置いて行かれずに済んでいるという状態だったよ。何もかもが。紙切れに内容をメモしただけで、はい!すぐテスト!だったからね。僕が知る限りだけど、すべての曲のすべての音を、全員が演奏している音も認識して、それに合わせながら演奏したよ。

 

ジャムや全部のテストを自然にできたことに加えて、ひとつだけ僕が他の候補者たちと違っていたのなら、それは、ポートノイのパートを、他のメンバーたちのパートと合わせた結果出てくるものにして演奏したということになるんだと思う。僕はマイクが録音したビートを演奏したけど、あちこちで、ルーデスやペトルーシが三連符を入れてくれば、僕も三連符を加えた。基本は、僕はDream Theaterがレコーディングした通りのものが好きなんだ。今もレコーディングの通りに曲を演奏したいと思ってるよ。マイクの財産を保存するようなもので、そのことについてはとても真剣に考えてるんだ。

 

DRUM !:競う相手がいるということは前もってわかっていたのでしょうか?

 

マンジーニ:1人1人誰かよくわかっていたよ。Eメール1通だけだけどね。読んだときのことは忘れられないな。始めは「うわあ、だめだ。知りたくない。自分のすることで悩むのを置いといて、競争相手が誰か知って悩みそうだ」と思った。候補者のリストを見たあとは「うわあ、だめだ。この人はこれが巧い、この人はあれが巧い、この人はこれをやらせたら最高だ、この人はあれをやらせたら最高だ。僕はどうしよう?」とか何とか……それからやっと「いや、相手が誰かわかって幸いだ。自分のことだけに集中できるじゃないか。誰が来るかという謎はもうなくなったんだから、自分のコントロール下にあることだけに集中すればいい」と。チェックリストをいくつも作って、毎日できることをただ遂行していったよ。

 

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(写真:原文ページより。撮影者さん不明)

 

候補者たちの名前がわかってとても助けになったのは [Dream Theaterの] 方向性がわかった、ということだよ。誰が招かれているか知ったことで、バンドが求めているもののヒントをもらえた。

 

DRUM !:オーディションのことを、ひとつひとつ詳しくお聞かせください。

 

マンジーニ:ウォームアップなしで、いきなり "Nightmare To Remember", "The Dance Of Eternity", "The Spirit Carries On" の3曲を演奏したんだ。僕の記憶が確かなら、この3曲を合計したら30分以上になるよ。それが第一部。しばらくジャムもやって、それから、その場で演奏する拍子を与えられるというテストをやったんだ。ワンフレーズが2/4、7/16、3/4、4/4、5/8とかね。フレーズ全体を通して拍子がいくつもあるだけじゃなくて、それぞれの拍子は1度しかやらないで、やったらメインテーマに戻って繰り返し、そしてフレーズの途中からまた違った拍子でやる、というものだよ。でも、どうやって切り抜けたかと言うと、ただジョーダン Jordan(・ルーデス Rudess、キーボーディスト)に数字を教えてって頼んだだけなんだ。いつでも質問させてくれてたからね。今からテストをやると彼らが言ったとき、直接ジョーダンを見て数字を教えてと言って、彼が教えてくれて、それを演奏しただけだよ。

 

DRUM !:いちばん大変だったのは、どんなことでしたか?

 

マンジーニ:バンドのみんなが部屋から出て行かないで、まず僕を1人にしてドラムキットで練習したりウォームアップをしたりさせてくれないらしいとわかってからの自分の現場対応だね。全員部屋にいるわ、従ってウォームアップなどというものは一切ないわ、そこから90分そこで過ごすことになっているわ、でもそこからバンドはサウンドチェックをしなきゃいけないわ、そして僕は座ってたらiPodから音が出ていきなりドラムを打ち鳴らし始め曲をやることになるとは思ってないわ。(訳注:1曲目 "A Night To Remember"のこと。曲の最初に入っている雷の音をジョーダン・ルーデス氏が再生するところから始まった)僕は古典的な練習をして育ったミュージシャンなんだよ。そんなことしないからね。

 

あともう1つ大変だったのは、口をひらいてしゃべらなきゃいけなかったときかな(笑)。冗談抜きで。僕は喜びで圧倒されてたんだ。ドラムの喜びでもなく、ただの個人的な喜びでもなく、未来を考える喜びで。僕のドラムパートを通じて、彼らが音楽で表現することの一端を担えるという未来をね。いつも僕はバンドで一緒に演奏する人みんなから、その人たちのパートも一緒にやってしまうのでやりすぎと責められるんだけどね。でも僕にとっては、Dream Theaterと同じ部屋にいるだけで特別なことだった。自分の心の中に未来への希望ができて、前進する力が湧いてくるようだったよ。

 

DRUM !:オーディションの、既存の曲を演奏する部分では何かミスをしましたか?

 

マンジーニ:"Nightmare"の始めで、シンバルのひとつを強く叩きすぎて、シンバルの傾斜角度を固定してあったのを開放してしまったんだ。立ち上がって直して、急いでまた座って、1音も叩きそこなっていないかのように見せながらも、間違いなく一瞬迷子になってた。実際は、スプラッシュシンバルをスカッたよ!オープニングのドラムフィルでは、スネアドラムの代わりにオクタバンを叩いた。まあ、それまで一度も叩いたことのない、いつもと違うセットアップで、いつもと違う場所にシンバルがあって、いつもと違う場所にタムがあって、キックペダル同士は自分が慣れてるのよりずっと遙か彼方に離れているというドラムで演奏してたということを考えに入れてやってほしいな。本当は2秒ぐらいのことが、頭の中では1時間ぐらい続いてるようだったよ。

 

DRUM !:オーディションの話がある前からあの3曲を叩けましたか?それともゼロから始めたのでしょうか?

 

マンジーニ:いや、いや、叩けなかったよ。Dream Theaterの音楽は何度も何度も楽しんできたけど、曲を練習して覚えたことは人生で1度もなかったんだ。曲を指定されたときはもうまったく大変だったよ。いちばん手近にある鉛筆と紙をひっつかんで学びにかかった。そのあと、大きな鉛筆を何本も買ったよ。大きな消しゴムつきの子供用の(笑)。全部を書き出したんだ。それから練習を始めもしないうちから曲を半分のスピードで聴き、75%のスピードで聴き、フルスピードで聴き、40%のスピードで聴き、ということをピッチを変えずにスローダウンできるソフトウェア [Amaging X] でやった。近頃のみんなが使っているツールと言ったら想像を絶するようなものだね。オンラインレッスン、スローダウンツール、ズームインツール、マルチアングル、って、そんなのがあるのかよ!道理で、早く巧くなる人が以前よりたくさんいるわけだよ。

 

DRUM !:曲を本物と違うように変えてしまった部分もありましたか?

 

マンジーニ:僕が演奏するのをその場で見た人や、あのオーディションの録画なんかを観た人は「あら、全部の音を書き出した通りに演奏した、って言ってなかったっけ?」って言うと思うよ。僕は違うシンバルや何かを叩いてるからね。僕はこれが正解と思った物を叩いてるだけなんだ。もしスプラッシュの代わりにハイハットを叩いたら、それは、ごめんなさい。それは僕の聴力が3,000ヘルツ以上の音を聞き取るのに限界があって、今のところ補聴器が必要になる待機者リスト入りになってるからなんだ。子供の頃、ステレオを爆音で鳴らして1日何時間も何時間も練習してたんだ。僕にとってのステレオのスピーカーというのはヘッドフォンで、耳栓はしてなかったんだ。耳が痛くなりだしたのでトイレットペーパーを詰めることを覚えたけど、そんな頃があった上に更に30歳も歳を取ったら、耳はもちこたえられなくなるね。

 

DRUM !:全部が終わったあと、自分の演奏を批評しましたか?

 

マンジーニ:あとで頭の中でジャムやテストを通して思い返したよ。でもすぐに「ああ、こうするべきだった、ああできたはずだった」と考えてしまうから「ちょっと待て。さっき何とかやれたじゃないか。考えるのはやめて何か食え」と考えて自分を落ち着かせて、そんな考えもすぐに頭から消えてしまったよ。

 

このトワイライトゾーン式の(訳注:主人公が変わって複数の話がある)やり方では、待っている時間というのが恐ろしいものだったよ。バークリー音楽大学での授業の合間に吐きそうになったよ。確かマルコのオーディションのときで、彼がオーディションを受ける時間を知ってたんだけど、その時間に具合が悪くなったよ。本当にすっかり参ってしまったんだ。あまりにもこのバンドに入りたかったから。このバンドに入りたいと心の奥底から感じる理由がたくさんあったんだ。他の候補者たちがそうじゃなかったという意味じゃないよ。ただ僕はその理由がどこから来るかわからなかったから、心の奥底、と言ったんだ。

 

つらかったのは、Dream Theaterに入らない人生を考えることだった。あの4人は僕が気持ちよく過ごせるようにしてくれて、本当に誰にでもとてもよくしてくれる、彼らの洗練された接し方を思い返すと [全部が終わったあと] 彼らに会えないことがさみしくなったんだ。それから誰にも話してないということもつらかった。両親やきょうだいさえも僕がドラマーの座を獲得したと知らなかったんだ。でも僕がオーディションを受けたことは知ってるから、なお悪いことになった。どうなったのかと訊ねられれば、黙るしかなくて、僕は誰に対しても完全に寡黙になってしまった。そしてこれは半端でなく難しいことだったよ。でも本当に僕がオーディションの勝者になったという電話をもらう前にもう頭に白髪が生えたけどね。

 

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(写真:原文ページより。撮影者さん不明)

 

DRUM !:Dream Theaterの新曲を書くのに関わりましたか?

 

(訳注:マンジーニ氏参加後の初アルバム、バンド通算11作目 "A Dramatic Turn Of Events"(2011年9月発売)

Dream Theaterサイト "BUY ALBUM" から各種デジタル版へリンク

amazonの日本盤 HDtracksの高解像度デジタル版

 

マンジーニ:まったく関わっていないんだ。書いたのはあの4人だよ。この新作は彼らにとって今までにはなかった、ドラマーなしで作曲してみるという機会なんだ。僕が関わるのは、ドラムの心配をすることと、このバンドのバックを固めること。すべきことがたくさんありすぎるんだ。フルタイムの仕事としてはステージから離れてたのが長すぎるから。ただドラムのイスに座っていたいんだ。あのオレンジ色とマゼンタ色のライトが僕のドラムに反射するのを見たい。観衆の声を聞きたい。ドラムを演奏したい。それが今やりたいことだよ。僕がやりたいことのすべてだよ。さしあたって作曲についてはどんなことにも関わりたいとは思わなかったんだ。もし関わりたいとバンドのみんなに言うだけの実力が僕にできれば、時が来たら現れることになると思うよ。

 

DRUM !:特に難しかった新曲はありますか?

 

マンジーニ:狂気的「2つのことを同時進行」タイプのドラミングを僕が最大限にやっている曲で、6曲目になる予定だよ。[この発行時には曲名未定]

(訳注:該当の曲は "Outcry" Spotify )

 

たくさんの拍子の変化が起こる中、自分の体の片側の手か足でやっている拍子と完全に違う拍子で、もう片側で演奏していたよ。でも僕は本当にこのバンドのドラムを叩いていた。僕はそのことをとても誇りに思うけど、バンドのみんながそれを気に入ったのは、音楽的に、だよ。

 

僕はそういう演奏をただの見せ場作りとしてはやらないんだ。そういった理由ではやらなかったよ。数学的な喜びを感じるのでやったんだ。わあ、ここで7/16で演奏したらいいだろうなあとか、でもまだこれから18回とか拍子が変わるんだよなあ、とか。

 

僕が [トラッキングルームに] 入ると [ギタリストの] ジョン・ペトルーシ John Petrucci が魂をほとばしらせてぶつけてきて、それが僕の魂を通ってドラムに伝わったんだ。あれは僕ではなかった。もちろん僕なんだけど、あの曲では彼が僕からあのイントロを引き出してくれたんだ。僕の頭の中にあった選択肢を総動員しても、それだけでは、最高のものに辿り着くのは実際とても難しいことだった。だから僕1人だけで全部やったんじゃないんだ。ジョン・ペトルーシと一緒にやったということが、本当に重要なことだったんだ。だから、そこで僕たちの関係性の基盤が確立されたようで、それはすばらしいことだったよ。僕はただ「ああ、1人で演奏したくない。自分 [の演奏] だけじゃうれしくない。自分の枠からは出られない。演奏はみんなでやりたい」と思ったよ。

 

DRUM !:バークリー音楽大学(訳注:Berklee College of Music ボストンにある名門音楽大学。マンジーニ氏は2000年からドラム教師として勤務していた)で教えるのを辞めて、さみしく思われますか?

 

マンジーニ:バークリーには感謝していて、たくさんのすばらしい時間を過ごし、一緒に働いた人たちのことは、これからいつも、とても恋しくなると思う。こう書いてほしいんだ。教育というひとつの理由のためにバークリーのたくさんの人たちと仲良くできて、あのすばらしいパーカッション学科の一員になれて光栄に思う。この怒濤の時期が落ち着いたら、胸を高鳴らせつつお邪魔しに行きたいと思ってるんだ。ぜひ言いたいんだけど、僕が教えた生徒たち、特に最後の学期の生徒たちは本当に僕の誇りだよ。彼らは僕がそんなだとは全然考えないと思うんだけど、僕が「さて、新しいギグがあるんだ。またな」とかいうふうに去って行ったと思ってる生徒もいるかもしれないからね。

 

ここ2、3年に教えた生徒たちは、僕がステージを恋しがってると知ってたんだ。だけど、あのドキュメンタリーが公開される1週間前まで僕がオーディションの勝者になったということは両親にも話さなかったということを、生徒たちにはわかってもらいたいんだ。だから、生徒たちも、誰でも、もし興味があったとするならだけど、このニュースからカヤの外にされたと思わないでほしいんだ。僕の生徒たちは僕を困らせるようなことはしなかった。「僕の」というところを強調したいよ。僕にオーディションについて詮索もせず、境界線を乗り越えてくるようなことはしなかった。つまり、バークリーの中でも外でもだけど、全員が僕を容赦してくれたわけではないということなんだ。

 

生徒たちがどれだけすばらしかったかという対比のために言うけど、あるとき、僕が自分の授業のことを考えていて、忙しくしていて、上司が僕から9フィートぐらいのところにいて、その隣にはもう1人教職員がいるというときに、会ったこともないお客さんが歩いて僕に近づいてきたんだ。その人は僕のやってたことに割り込んできて……身体的にも近すぎるところまでやって来るタイプの人だよ……そしてこう言った。「やあ、おめでとう、何かギグをやったんだろう、何だっけ、Dream Theaterだっけ? すごいね!で、こんなところで働いて何してるの?」なんとまあずうずうしい、失礼な、境界線を侵してくるようなことを言うんだろうね、僕が雇用してもらっている場所にいて、つきあいのある人たちが周りにいるときに。そのときはまだあの「電話」(訳注:オーディションの合格発表の)を受けてもいなかったんだ。他にも少しだけ何例か、違った形で、立ち入ったことをされて苦しんだことがあったよ。本当に少しだけだけどね。でも驚きはしなかったよ。たぶんいつでも「全員に返信」ボタンを押してしまうような人たちなんだろうね。

 

そういう苦しみもあった一方で、Dream Theaterがドラマーを探しているというニュースは公表されていて生徒たちはドラマーオーディションがおこなわれていることは知っていたのに、僕がオーディションに呼ばれるということを感づいてはいながらも、僕のプライバシーを尊重してくれたんだ。誰がオーディションを受けたかということは、そのあと、何ヶ月も非公開だったんだ。生徒たちの辛抱強さに本当に感動したよ。そういうふうにしてくれた生徒たちを僕はとても愛おしく思う。自分が選ばれたと知ったあとは、生徒たちに話せないというのは身を引き裂かれる思いだったよ。一方で、何も言いたくないという気持ちもあった。話すことで僕たちの勉強の妨げになってほしくなかったから。何だかんだ言っても、そうしたことはいろいろなことを変えてしまうものだからね。でも、また一方では、喜びいっぱいに、声を限りに叫んで、こう言いたかった。「わかったかい?論理的に学んだ演奏法は、役に立つんだ!」何度も言っていた口ぐせなんだけどね。でも、このオーディションに受かったことで証明になるかもしれないね。