Paradise Found

好きな音楽関連の英語和訳や諸々です。My Japanese translations (from English) and various things related to my favorite music.

John Myung インタヴュー和訳 2014年1月 MusicPlayers.com

初出:2014年10月 別ブログで投稿

 

My Japanese translation of the John Myung interview.

Bassist for Dream Theater (website). He has no personal official internet platform.

The original English interview: MusicPlayer.com, January 2014

Interviewer: Scott Kahn

 

ジョン・マイアング John Myung インタヴューの和訳です。

ドリームシアター Dream Theaterサイト)ベーシスト。個人の公式インターネット発信拠点はなし。

原文:アメリカのウェブサイト MusicPlayer.com で2014年1月公開 電話インタヴュー

インタヴュアー: Scott Kahn

 

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(写真:原文ページより。撮影者さん不明)

 

ベーシスト、ジョン・マイアングの心の重低音を聞く

 

Dream Theaterの創設メンバー、驚異のベーシスト、ジョン・マイアングはそのベースを自由に操る腕前で数十年に渡り音楽界を魅了してきた。あらゆる種類のエレクトリックベースを演奏し、ロックやメタルの世界にほぼ前例を見ない6弦ベースを持ち込んだマイアングだが、決してスポットライトやファンからの崇拝を求める人柄ではない。ところが、彼がステージでベースを演奏するのを観て、そして感じていると、そこにいるのは確かに、スピリチュアルな領域で見事に音楽とつながっている音楽家だ。その境地に到達できないプレイヤーもたくさんいる。技術はあっても、いざ弾くときにどうしていいかわからなくなってしまう。

 

マイアングは、もちろん、彼が受けている賞賛に値するし、バンドのサウンドを特徴づける上で決定的な役割を担っているにも関わらず、永久にひかえめな奉仕者という立場を保っている。本サイトは彼にインタヴューし、その人、物語、ベースについてよりよく知ることができる、すばらしいひとときを過ごすことができた。

 

MPc:楽器の演奏はヴァイオリンから始めたんですよね。ベースへ行ったきっかけは何だったのですか?

 

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(画像:少年時代のマイアング氏。原文ページにないのですが追加させて頂きました。

掲載元がわからなくなってしまったのですが、インターネット上のどこかで拝見して保存していました。

Dream Theaterアルバム5作目 "Scenes From A Memory"(1999年)のツアーで、パンフレットに、アルバム名の通り「記憶からの場面」ということでメンバーたちの過去の写真を掲載、このマイアング氏の写真があり、そこが初出ではないかと思います。

私はそのツアーパンフレットは持っていないのですが、そのツアーのライヴ盤 "Live Scenes From New York"(2001年)CD日本盤・初回限定版 amazon を持っていて、そのツアーパンフレットのミニチュア版が付属しています)

 

JM:僕の友達はみんな本当にとても音楽に熱中していて、とにかくバンドを組んでいたんだ。うちの2軒隣に住んでいた友達のフランク Frank [・ギルクレスト Gilcrest] がドラマーだったんだけど、ベーシストを探していて、それをきっかけに僕がベースを始めて、はまって行ったんだ。始めはヴァイオリンを持ち込んで弾いたんだけど、これは違う、と思った。音のラウドさが足りない。そこへベースを持ってこられて、これは挑戦するのもかっこいいなと思ってやってみたら完全に好きになったんだ。本当にしっくりきた。そこから、ベースは僕の人生の大きな一部になったし、僕がやりたいことのすべてはベースだった。放課後にはいつもジャムったり、カバー曲をやったり、単に友達とつるんでRushやBlack SabbathやYesやいろんなバンドのことを語ったり、曲を聴いたりしていたよ。

 

ジョン John(・ペトルーシ Petrucci、ギタリスト)は近所の別の地域に住んでいて、そのエリアのミュージシャンたちと一緒にバンドを組んでいたし、

(訳者補足:ペトルーシ氏とマイアング氏は初めて会ったとき12歳頃だった、とペトルーシ氏がこちらの 動画7:00頃から 語っています)

僕の別の友人もバンドを組んでいたし、とにかくそういう人がたくさんいたんだ。なぜそんな状況が発生したのかわからないけど、たぶん、ある日誰かの両親が子供たちにギターとアンプなんかを持たせてやったらいいんじゃないか?と考えて、知らない間に近所でそれがいちばんかっこいいことになったんじゃないかな。そんな具合で僕は音楽の世界に送り込まれたんだ。いったんバンドを始めたら、1日のうちでかなりの時間を費やす事項になったよ。

 

MPc:Dream Theaterの作曲プロセスでのあなたの役割についてお聞かせください。

 

JM:自分としては、僕の役割はみんなのアイディアをよく聞いて、理解して、何か足したり、補完したりできるようにしておくこと、1曲が生まれるに足りるような強力なもの、という基準でアイディアを出す努力をすること、だと思っている。そのアイディアを常に探していて、セッション中にひらめいて曲に発展していくようなアイディアが、アルバムごとにたいてい1つか2つぐらい出る。"Behind The Veil"Spotifyのヴァース部分のグルーヴなんかはそのうちの1つだよ。(マイク Mike・)マンジーニ Mangini(ドラマー)とジャムりながら何かアイディアを探していて、最初は自分がどういう演奏をしようとしてるのかもよくわかっていなかったけど、そのうち形になってきて、OK、これはグルーヴとして使えるだろう、となった。それから、この曲のブリッジ部分も、ジョン(・ペトルーシ)とマンジーニとジャムりながらアイディアを探しているときにできた。ジョーダン Jordan(・ルーデス Rudess、キーボーディスト)はその日、何か用事があったんだと思う。ジャムっていたら突然ひらめいたんだ。雷に打たれたみたいに。それが起こるのをいつも待っているんだ。ひらめいて、そして演奏を始めて……あの曲の後半に向けて出てくるような感じのリフは、元々はもっと前にあったんだけど、作曲の過程ではいろいろ変わっていくものだね。それから録音に入ったときはすばらしい気持ちだったな。みんな本当にこの曲に熱中していたよ。

 

そんなわけで、作曲中の僕のアプローチはそんな感じだね……。アイディアを出すのは、できると感じているときにできる、という感じかな……スタジオにいて気分も良くて、その場合にぴったりなものを、自分がそう思うってことだけど、ぴったりなアイディアを思いつけて、演奏で表現できて、アルバムに入れてもいいぐらい充分に強力なとき、アイディアを出しているよ。そういう参加方法が1つ。参加方法はもう1つあって、単にバンドのみんなとアイディアを交換してどれを仕上げるか決めるとき。全員がアイディアを出すんだ。アイディアが涸れるなんてことはないよ。取り掛かるべき題材がいつでもたくさんある。でもどれに取り掛かるか、ああでもないこうでもないと、ちょっと慎重に吟味するんだ。仕上げようと決めたはいいが永久に仕上がらないことがあるからね(笑)。そういうわけで、アイディアが湧くままに出し合って、ああでもないこうでもないと話し合って、最終的に方向性が固まったら、僕はひたすら周囲からインスピレーションを受けて何かアイディアを思いつく努力をする。ブロックを積み上げて、進行を促すことができるように。

 

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(写真:原文ページより。撮影者さん不明)

 

MPc:不思議に思っているプレイヤーが大勢いると思うのですが、どうして4弦からいきなり6弦に行ったんですか?途中に5弦で止まってみたことはありますか?

 

JM:4弦がいいと思えばいつでも4弦を弾いてたよ。なにしろ弦が [真ん中の] 4本だけだしね。そして6弦は、多くの面で、実際4弦より簡単だったんだ。E弦でキメたいとき、 6弦なら下にもう1本弦があるから支えみたいになってくれるしね。だから6弦は、単に4弦の補強版と見えたんだ。始めの頃はまだ4弦のように考えていて、 弦が増えた分は、4弦の音域と形の大きさが拡大したもの、と考えていた。

 

形は至って4弦のコンセプトと同じだったし、弦が2本増えた分は本体の幅がちょっと広くなっただけだな、と。そんな風に思えたんだ。本当に単純すぎるぐらいな考え方で。複雑だとは思わなかった。僕は、なぜそうなっているか関連のわかる物事が好きで、6弦は形が大きくなったことで、つまり出せる音が増える、できることが増える、という結果になっているとわかったし、いいなと思ったんだ。弦が増えて、違ったタイプの曲が弾けて、6弦の音域のおかげでハーモニクスや陰影あるプレイや様々なことができて、クールなタッピングができて、すごく長い音も出せて、いろいろ補填して曲の低音域の厚みを増すことができて、6弦は単に4弦の改良版と見えたんだ。 本当にそれほど難しくは感じなかったよ。

 

MPc:あなたのMusic ManのBongoベースのネックは通常の6弦Bongoのものではありませんね。あなたのベースについて話して頂けますか?

 

JM:いいよ。僕の弾いているベースが基本と違う経緯はこうなんだ。元は "Systematic Chaos"(訳注:Dream Theaterアルバム9作目。2007年)で [既製品の] 5弦Bongoをそのまま弾いていたんだ。すばらしい楽器だったんだけど、ボディが小さすぎる気がした。6弦を弾くのにも慣れていたし。だけど、そのツアー中、僕の6弦は開発の途上だった。当時の案は、OK、ボディだけ大きくして、5弦の弦間隔のまま、もう1本高音の弦が入るような幅のフレットを使おうというものだった。しばらくはそれで満足だったんだけど、ツアー途中で自分の両手が何か語りかけてくるように感じ始めたんだ。毎晩、僕の両手は燃えるようで、すごくハイテンションで、こう語りかけてくるようだった。「おい聞いてくれ、この楽器を改造しよう。音はすばらしいし、曲のタイプによっては確実に存在感もある。でもツアーで毎晩毎晩弾くものとしては、もうちょっとベースと体が完全に一体だと感じられるようなケミストリーが欲しい」

 

で、6弦用のボディの大きさは保ったまま、フレットは5弦用の幅に戻して、そこに6弦を張ることに決めた。で、しばらくそれでうまく行ったけど、今度は、そのネックの元々のカットやボディとの接続のし方、弦の張り方によって安定性の問題が出てきた。左手の力を充分に伝えられない感じがあったんだ。ネックの後ろのカーブの角度が、親指や手の力を伝えるには相性が良くなかった。手の力をベースに伝えるためには掌を使うしかない感じだったんだ。掌でネックの後ろを支えて演奏してたけど [考える]……本当に親指は使う必要があったんだ。

 

というわけでネックの寸法が問題になった。で、もっと平らなカーブにして、[ネックの] 塗装をはがして、もっと自然な木材の手触りを出すことに決めた。それで完璧になったよ。今度は持って何だかしっくりくるし、弦の安定具合も快適だし、引っかかりもしないし、本当にうまく演奏できる。そんなわけで、試行錯誤もあまりせずに、速攻で完璧にできたんだ。ネックの後ろのカーブをちょっと平らにして、ちょっと厚みや密度を増すことで親指の力を殺さないようにできた。ネックの後ろがちょっと細すぎたせいで、しっくり安定する腕の居場所が本当に見つからない感じだったんだ。だから基本的な対処法としては、ネックをより平らにして、親指がフレットボードの後ろで安定できるようにする必要があったということだよ。その問題がひとたび解決したら、テクニックも演奏も何もかもちょっとばかり改善して、うまく行き始めたんだ。まさに望み通りだよ。すべてのことがうまくつながって機能したから音がすごく良くなった。でも、楽器の場合、演奏していて快適であればあるほど簡単になって、更に快適になって、パフォーマンスでの聞こえ方も快適になるんだ。

 

ごく最近、この1年半ぐらいの間にそういう結果が出るようになったよ。そのモデルを1種類だけ前回のツアー(アルバム11作目 "A Dramatic Turn Of Events"(2011年)のツアー)では使って、スタジオに持ち込んだのは基本的に同じヴァージョンだけどピックアップ構成が違うものだった。もうちょっと変化を、音色の変化をアルバム(訳注:12作目 "Dream Theater" 2013年)に加えるためのピックアップを搭載したものを使ったんだ。メインで使用したベースのピックアップ構成はHS、つまりハムとシングルだった。

 

(訳注:エレキギターやベースで弦の振動を電気信号に変える部品「ピックアップ」の種類

 

シングル Single:コイル(電流を通す金属線がぐるぐる巻きの形になっている部品)1個使用。

クリアなサウンドを得られる。しかし音にゆがみ(ディストーション)をかけるとノイズが出やすい。

 

ハム Hum = ハムバッカー Humbucker:電磁波によるノイズ(= hum)に抵抗する(= buck)構造。

シングルコイルを2つ並べ、それぞれの電流の向きを逆にすることでノイズを消す。

力強く太い音を得られる。音をゆがませてもノイズが出にくい。

 

エレキギターやベースに搭載するピックアップの数は1個、2個、3個など。2個、3個の場合はそれぞれの位置を次のように言う。

2個:フロント / リア

3個:フロント / センター / リア

 

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(ピックアップ位置図示のため加工させて頂きました)

 

搭載ピックアップの種類を説明する際、フロント / センター(あれば) / リアの順に、 「S = シングル」か「H= ハムバッカ―」の頭文字だけを並べて表現することがある。

例:フロント「H= ハムバッカー」 / リア「S= シングル」→ HS

  フロントもリアも「H= ハムバッカー」→ HH

 

上記のインタヴュー内容でマイアング氏が言っているのはこのこと。"HS" のあとに「ハムとシングル」と説明しているのが親切!)

 

MPc:どのメーカーのピックアップを使っていますか?

 

JM:Music Manのピックアップだよ。工場で作られたそのままを。それから……[最新のJMモデルのベースに] ダブルハムのピックアップ(訳注:フロントにもリアにも「ハムバッカ―」タイプのピックアップを搭載)のものを加えたよ。本当に本当にクールなサウンドなんだ。音作りの機材があるから、ベース自体での音の加工はあまりしないんだ……僕のHSベースで調整するのは基本的に音量ノブぐらいだよ。基本的に、何もかも [HSベースのサウンド] そのまま、という感じだね。サウンド加工は何でもプリアンプでやるよ。ダブルハムのピックアップを載せたHH Bongoが今までと違う点といえば、音量ノブだけじゃなく、ピックアップセレクターのノブも付けて4種類のセッティングができるようにしてもらったことだね。ノブをどの位置にひねったらどうなるかはわかってるけど、中でピックアップの電極がどうなってるかはよくわからないよ。でも僕が好きなヴィンテージもののようなサウンドで本当にクールだし、"Along For The Ride"(Spotify)や "Illuminaiton Theory"(Spotify)に使ったよ。"Surrender To Reason"(Spotify)に使ったのはHSだったよ。

 

だから、つまり……あのアルバムで使ったのは半分HSで半分HHということになったと思う。クールな方法でアルバムに多面性を加えることができたと思ったよ。

 

MPc:ベース関連機材、アンプの話を聞かせてください。今までの歴史を見ると、Mesa/Boogieの大きなものを使ったり、ツアーでStudio Preampsにつないでその音をダイレクトに使ったりもされていましたね。いろんなアプローチの、どういう点が好きですか?また、今回の新アルバム(訳注:12作目 "Dream Theater" 2013年)と、そのツアーではどのようにしようと決めましたか?

 

JM:それは本当にいい質問だね。と言うのも……機材の構成は強烈な特徴をいろいろ組み合わせて作り上げるものだから。でも強烈な特徴がたくさんあるだけでは、その全部が一緒になってうまく行くということにはならない。やるべきことは、そういう特徴を要約してどういう風にしたいのか見つけることで、たいていは、特徴は3種類か4種類あればいいということになるし、そうした特徴が合わさってうまくひとつの音になる方法を見つけるのが大事なんだ。今回のアルバムで本当にクールだったことのひとつなんだけど、リッチ・チッキ Rich Chycki が一緒に僕のサウンド作りをしてくれて、僕だったら普段やらないようなことを足して別世界を見せてくれたんだ。

(訳注:リチャード・チッキ Richard Chycki 氏はサウンドエンジニア。サイト

Dream Theaterに参加する前のジェイムズ・ラブリエ James LaBrie氏と共にWinter Roseとして活動し、ギター、ベースを担当。その後サウンドエンジニアとして活躍。ラブリエ氏のソロアルバムも手掛ける。Dream Theaterとの仕事ではアルバム "A Dramatic Turn Of Events"(2011年)でヴォーカル録音のみ担当、"Dream Theater"(2013年)では全体のエンジニア)

 

彼はフットペダルを少々、Mesa/BoogieのGrid SlammerとMXRのベースコンプレッサーを、プリアンプの前に加えたんだ。彼がそうしたら、今までの僕のサウンドに欠けていた要素が足されたんだよ。僕がペダルをごちゃごちゃいじってサウンドを作ると、いつも30分ぐらいはいい音が出るけど、そのうち音がうるさいとかやりすぎとか、こんなはずじゃなかったという結果になってたんだけどね。

  

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アメリカ、ニュージャージー州モリスタウン Morristown、Mayo Performing Arts Center公演より

(写真:原文ページより。撮影者さん不明)

 

というわけで僕が使う機材の多くは、最高級の、スタジオ録音に使える品質の機材だよ。装備の中でも最も便利なもののひとつは、言わば土台だけど、Demeterの真空管プリアンプ、VTM-2Bだよ。ジェイムズ・ディメーター James Demeter によって作られた伝説的、真空管プリアンプで、マイケル・ジャクソン Michael Jacksonのアルバム "Thriller" のレコーディング時に実際に使われたものなんだ。というリッチの話はフカシじゃなくて本当だと信じているよ。アルバム"Thriller"(Spotify)を聴くと、ベースはまさにその真空管プリアンプと同じ音がしてるんだ。Music Manのベースを真空管プリアンプに通したような音だし、実際に演奏するのと、そのアルバムのベースはまさに同じ音なんだ。本当になめらかで、使いやすい音だよ。聴いて、感じて、本当に、本当に心地いいんだ。そういう風にして作った音が全部合わさったときにうまく行って、全部が完璧にはまって、本当に強力な音楽を作り出すことができるようにするのは、大変だけどやりがいのあることだね。いろんなものを全部混ぜてるんだから強力になるはずだと理論上は言える場合もあるけど、多くの場合、強力になんかならずに、何にもならないものの集合になってしまう。というわけで、その真空管プリアンプは、僕のサウンドにとって本当にすばらしい追加要素だった。

 

でも、学んだことは他にもあるよ。アルバムごとに毎回何か学ぶことがあるものだよ。もうひとつリッチから学んだことは、ペダルを、いい音が出ると自分が思いさえすれば、基本的にどこにでも加えて試してみていいんだということ。ただし、ラインレベル(訳注:楽器や音響機器の間で、端子を通して入出力される信号レベル)がすべてだと認識しておくことが大事で、信号の入力レベルと出力レベルが等しくなるようにすることが重要なんだ。

 

そんなわけで、そういう風にやり方の加減がいったん固まってしまえば、本当に何のダメージも痛手もなく、クリエイティブな状態でいられるんだよ。ともかく、今回のアルバムでは、とりわけその2つが大きな違いをもたらしてくれたよ。他の要素といえば全部、これまた僕の機材の中で重大な役割を担っていたものだけど、真空管8本のモノブロック・パワーアンプを使ったことで出た特色だね。それもDemeter製だよ。ベースとそのアンプとの間にRadial JDXを通していて、究極の、僕にとってはだけど、究極のDIサウンドなんだけど(訳注:DI = Direct Injection Box ベースからの信号を受けミキサーへ送り込む装置。ベースをいきなりミキサーへつないだ場合よりノイズが出にくくなる)同時にとてもダイナミックでもあるんだ。エッジが効いていて、ベースからの信号がそのまま活きていて、でも呼吸をしているような生命感があるんだ。それは真空管の、モノブロック真空管アンプの特性だね。確かVHTF-300だよ。

 

やっていることはすべてクリエイティブな方向への前進なんだ。ひたすら、うまく行くコンビネーションの正解探しだね。そして、それはすべて、生命感のあるベースサウンドを生み出すためで、そういう音を聴けたときはすばらしい気持ちだよ。今回のサウンドは、僕が今までアルバムに録音した中で最高なもののひとつだと思うよ。

 

MPc:そこには気付いていました。ベースソロとは言わないまでも、ベースがリードラインを担っている箇所、ベースラインが際立っている箇所がたくさんあるので、そういう箇所で気付きますね。それから、ベースの音にフランジャーか、それに似たエフェクトが掛かっていることにも気付きます。ベース信号へのエフェクトの使い方について、どんなエフェクトでも良いので、少しお話を聞かせて頂けますか。

 

JM:ああ、Enigma Machine”Spotify)でやったようなもののことを言ってるのかな?いいよ。ええと……あれはRushが前にやっていたことをやってみようということになったんだ。その過程はずっと「いやしかし、そのサウンドにどうやって行き着くの?どうやって出してるの?」という感じだったよ。すばらしいことにリッチがこのアルバムでエンジニアをしていて、しかも彼はサウンド作りの名人だから、僕たちが彼に「こんなサウンドを作ってくれる?」って頼んだんだ。Rushのアルバムやら音質やら何やらをたとえに出しながらね。だからリッチがいてくれて良かった。(訳注:リチャード・チッキ氏はRushのサウンドエンジニアリングを手掛けた経験がある)

 

その、きみが言っている音を出しているエフェクターの具体的な名前はRolandのDimension Dだよ。それを使うと、あのフランジャーみたいな、際立った特徴が出るんだ。

 

MPc:ライヴではインイヤーモニターを使っていますね。インイヤーモニターを使うと考えたとき、多くのベーシストがかなりの恐怖を抱くと思うのですが。あなたはどうやって、自分自身のベースの音を聞いたり感じたりするために、インイヤーモニターで満足な音質を得られるのだろうかと不思議です。ベーシストとして、インイヤーモニターを使うようになった経緯をお話し頂けますか?

 

JM:僕にとっては、スタジオにいるような感じがするからなんだ。信じられないぐらい原音そのままの音が耳に入ってくるから。ただし、大規模なライヴでステージの下からも上からも大音量が出ているときに、インイヤーモニターの音をちゃんと聞き取るのは大変だけどね。ライヴ会場の音というのは本当に何もかも飲み込んでしまうから。大きな音の塊みたいで、ミックスの音も何もかも浸食してしまうし、そうなるとまったく勝手が違ってしまう。だから僕は、インイヤーモニターをとても基本的な設定に保って使っているよ。自分の出している音が聞こえて、他の楽器の音も聞こえる余地をたくさん残すようにしている。曲の途中で自分がどこを演奏しているのか見失わないように、他の楽器の音が充分に聞こえて、僕をガイドしてくれるようにしているよ。PAが作動して、ステージから発される音の威力で自分のミックス音源は聞き取りにくくなる中、どうやったら曲を無事に演奏して、いい音も出すようにできるだろう?と考えるよ。バスドラム、スネア、ハイハットの音は常に聞く必要があるんだ。

 

僕の傾向として、曲の中の、動きが多くて主役的な音は音量を抑えめにしているんだ。本当に基底部を重視したミックスで、バスドラム、スネア、ハイハット、伴奏的なギター、キーボードが聞こえるようにしている。ヴォーカルはあまり大きくない音量で。ヴォーカルマイクが拾う空気中の微細な音がミックスの質に干渉してしまうから、ヴォーカルの割合はちょっと削るんだ。

 

言わばサバイバル・ミックスとでもいった感じだね。よし、これさえあればいい音を出せる、という感じで……たいてい、ベースというのは音が大きいほうだから演奏中に自分の出している音は判別できるし、ちゃんと音が出ていると確認することができるよ。でも、ライヴとはそういうものだよね。PAが作動したら別世界だから。PAがオフ状態なら、インイヤーモニターを使うとスタジオにいるみたいで、アルバムのような音質のミックスが得られるよ。

 

でも実際 [インイヤーモニターは] 悪いものじゃないよ。きみの言わんとしているところはわかるよ、ベース弾きはインイヤーモニターを使いたがらない。本物のベースアンプを背にして演奏できないということだからね。僕もそうやって弾くのが本当に懐かしいときがあるよ。でもインイヤーモニターを使ったほうが実際いいよ。耳に入ってくる音量をコントロールできるから、耳への暴力がちょっと減る(笑)。インイヤーモニターを使えば、結果として聴力の寿命はちょっと延びるよ。

 

MPc:どのインイヤーモニターを使っていますか?

 

JM:Sensaphonicsの、自分の耳の形に合わせて作られたものを使っているよ。シリコン製の。シリコン製が僕にはベストだとわかったから。シリコン製でない他のインイヤーモニターを使っていたとき、素材の製法とかそういうことだけど、とにかく問題があって、毒性が低くニュートラルな性質のものを求めていたんだ。シリコンは肌にも本当に無理がないし、きちんとフィットするから、今まででいちばん長い間ずっと使っているよ。

 

MPc:ドラマーにマイク・マンジーニを擁し、あなたと2人で強力なリズム・セクションとなってから2度目の大規模ツアーへ乗り出そうとしていますね。マンジーニ氏との演奏と、長年のポートノイ氏との演奏との違いを比較、対照してお話し頂けますか?

 

(訳注:初代ドラマーのマイク・ポートノイ Mike Portnoy が2010年に脱退、オーディションを経てマイク・マンジーニが後任として参加)

 

JM: ああ、ええと……その訊き方に答えるのは本当に難しいよ。極端に正反対みたいに分けないと答えられないから。僕に言えることとしては、2人とも自分のパートの構築方法やドラミングへのアプローチの面で本当に才能がある。そして楽器の演奏法に正解も間違いもないんだ。ただ、これが自分のやり方だ、というのがある。そこが演奏法のクールなところで。2人ともドラマーとして本当に個性を持っている。バンドとしての表現やまとまりがすべてだし、僕はこの2人のドラマー両方との演奏を経験できてとにかく幸運だ。

 

MPc:ジョン・ペトルーシはツアー中、毎晩ショウの前にいろいろなウォームアップ・エクササイズをして、体系的な準備をしていますね。あなたのショウの前や後のプロセスはどのようなものですか?

 

JM:ええと、それは……僕にとって大事なのは、身体的なバリアを取り払うことなんだ。で、その身体的なバリアを取り払うことというのは、本人と楽器とのつながりを深めることだと思う。演奏する楽器が何であっても。まず最初の入り口は身体的なバリアを取り払うこと。で、僕にとって、それは脳と両手を完全に同調させることで、それを実現する方法は演奏しかない。

 

ショウの前に少なくとも2、3時間、本当にウォームアップをゆっくりするだけの時間を取って、両手にエネルギーを注ぎ込むような感じのエクササイズをやって、自分の両手が自分のものだと感じられるところまで持って行きたいんだ。それが僕のショウ前のプロセスだね。それをやれば、ステージへ歩いて行くとき、すべてが流れに乗っていると感じられて、あのウォームアップの時間を取ったんだから、いざというとき身体的な心配はいらないと確信できるんだ。だから、僕の準備プロセスの大部分は本当に身体面のことだね。準備というのはつまり身体と精神の状態に直結している。ショウに向けてどう準備をするかと言っても、ステージにいる時間だけのことじゃなくて、1日全部が準備なんだ。どう起きるか、朝食に何を食べるか、も準備なんだ。本番前の時間にすることは何でも準備で、それが全部、ステージ上にいる時間に結果となって出てくるんだ。

 

僕のライヴ前とはそんな具合で、スタジオ入りの前もそんな具合だよ。でもスタジオ入りのときは、加えてイメージ面の準備にも入るんだ。すべてを忘れて、自分の中に湧いてくるイメージに身を任せ、一瞬の火花のようなインスピレーションをつかまえようとする。その一瞬の火花が、壮大な1曲へと化身していくんだ。

 

MPc:では、ちょっと過去作を振り返ってみましょう。僕がDream Theaterのアルバムのタイトルを言いますので、最初にぱっと頭に浮かんだことを話してください。ご自分が作曲した曲のことでもいいですし、作曲プロセスのことでもいいですし、当時使っていた機材のことでもいいです。過去を振り返ってふっと自然に頭に浮かんでくることは何か見てみよう、という主旨です。

 

JM:OK。

 

MPc:では、"Images And Words"(訳注:アルバム2作目。1992年)から始めましょう。

 

JM: "Images And Words"......Specterのベース。

 

MPc:では、"Awake"(訳注:アルバム3作目。1994年)はどうですか?

 

JM:"Awake" か。最初に思い浮かぶのは使ってたベース、Tung [元Tobiasの弦楽器職人ニコラス・タング Nicholas Tungが創設した小規模な会社]。その時期から思い浮かぶことはすごくたくさんある。ケヴィン Kevin [・ムーア Moore] がバンドを去ると決めた時期でもあるし。彼と一緒に作った最後のアルバムだよ。

 

MPc:そのことを、バンドの皆さんはアルバムの制作に入るとき知っていたんですか?

 

JM:制作に入るときは知らなかったよ。みんなで作曲して、何もかも一緒にやったんだ。レコーディングはロサンゼルスに行ってやって、作曲はほとんどニューヨークでやった。"Awake" は前作の結果を強く意識しながら作ったアルバムだった。"Images And Words" の直後で、あのアルバムが本当にいい結果を出してバンドにすごく躍進力が出ていたときで、"Awake" には大いに期待がかけられていたんだ。あの頃は本当に悲しくもありエキサイティングでもある時期だった。

 

"Awake" は挑戦だった。ケヴィンの後任を見つけないといけなくなったこともそうだし、スタジオに入って僕たちが本当にいいと感じるものを書いて、表現して、それを他の人たちもいいと思ってくれるように望みをかける、ということが挑戦だった。なにしろ世の中には大勢の人がいるとわかっているわけで……こういう話を、他の人たちもしているのを何度も聞いたことがあるんだけど、最初のアルバムを作った時点で全人生を注ぎ込んだようになってしまって、そんな風になれるときが二度とやって来ない、と。

 

MPc:ええ、そしてDream Theaterは1年後に次回作を作るわけですよね。

 

JM:そう、だから本当に……物事に時間が必要なときもあるってことだよね。必要に迫られて書き始めた曲が、必要に迫られていい曲になるとは限らない。つまり、物事を発展させるためにはたいてい時間がかかるものだし、そういう時間のかけ方という点で、"Awake" は前作とだいぶ違ったタイプのアルバムだった。"Images And Words" に匹敵する次回作を作ろうという思いが常にあった。でもそのアルバム作りにかけられる時間はあまりなかった。メンバー脱退への対処、他にもいろんなことがあったな、演奏にかける時間の調整、遠い土地で過ごすこと、それに順応すること。すごくすごく多忙な時期だった。その時期にずっしり重いことがたくさん起こっていた。重大な、人生を変えるようなことがたくさん、このアルバムの制作中に起こっていた。まさにつむじ風のような時期だったね。

 

MPc:では、ちょっと飛んで "Scenes From A Memory"。(訳注:アルバム5作目。1999年)

 

(訳注:初代キーボーディストのケヴィン・ムーアが脱退後、ツアーサポートメンバーとして参加したデレク・シェリニアン Derek Sherinianが正式に二代目キーボーディストとして参加、ミニアルバム "A Change Of Seasons"(1995年)とアルバム4作目 "Fall Into Infinity"(1997年)に参加。

 

しかしバンド側は以前からジョーダン・ルーデス Jordan Rudessに参加してほしいとの思いがあり、タイミングが合わず実現していなかったが実現することになり、アルバム5作目 "Scenes From A memory"(1999年)から3代目キーボーディストとして参加)

 

JM:"Scenes From A Memory"……思い浮かぶのはBear Tracks [ニューヨークにあるスタジオ]。他に思い浮かぶのは……このアルバムの作曲プロセスは本当に流れるように進んだということ。物事がまたうまく行き始めたと感じた、本当にいい時期だった。みんなで作曲に入ったらすべてが本当に流れるように進んだんだ。このアルバムを作っていて、複数の曲が入ってるけど全体で大きな1つの作品という感じが本当にあった。"Scenes From A Memory" の時期の印象は、物事がまたしっかりまとまり始めた、ということだね。

 

MPc:では、ずっと進んで "Train Of Thought"。(訳注:アルバム7作目。2003年)それまでの作品とはちょっと違ったものなので。

 

JM:思い浮かぶのはニューヨークの街、それから……生々しいむき出しのエネルギー。このアルバムには生々しいむき出しのエネルギーがたくさん詰まっていた、ということが思い浮かぶ。ほとんどの曲にすごく、すごく疾走感があって、とてもテンポが速いアルバムだね。このアルバムの制作でも、すばらしい瞬間がたくさんあった。僕は……このアルバムはそれまでのものと違うけど、力強いアルバムだと感じたよ。このアルバムはすごく……"Train Of Thought" はエネルギーの塊だった。

 

MPc:当時既にYamahaのシグネイチャー・ベースを使っていましたか?

 

JM:うん、Yamahaのだったよ。それからAshdownの機材を初めて使ってたね。他に思い浮かぶことは何かな?作曲プロセスを本当に楽しんだよ。"Train Of Thought" の作曲プロセスは僕たちが昔やっていた通りのやり方だったから。リハーサル施設にみんな来て……"Images And Words" より前の何年も何年もリハーサル場所に集まって来て作曲する、というのをずっとやっていたんだ。で、ものすごく速いペースでできたアルバムだったね。スタジオには入らないで、ただリハーサル場所に集まって……楽器を生のアンプにつないでその音を直に浴びるから耳栓をしなきゃいけなかったりするんだけど、室内はエネルギーに満ちていたよ。アンプや何かから音がたくさん室内にそのまま出るというのは。そういうわけで、"Train Of Thought" では、昔みたいな作曲環境が本当に良かった。

 

そういう環境だったからこそできた、本当にクールなものがいくつかあった。"As I Am"Spotifyのイントロがそうで、僕がアンプの前に座ってディストーションのセッティングをごちゃごちゃ変えて試したりしているうちに、確かジョン(・ペトルーシ)が「よし。ここは半音下げで行ってみよう」と言ったんだと思う……実際は、半音上げだったかな。確かそうだったと思う。実際は、忘れた(笑)。これはほら、あとでチューニングを確認しないとね。いや待って……よし、ちょっと待って。

 今すぐベースで確認する。ちょっと待って。

 

[そして、キラー・ミュージシャンが電話越しに私にセレナーデを聴かせてくれる……ジョンが受話器の向こうでベースを弾くのが聞こえる……]

 

ジョン(・ペトルーシ)がlow B弦のチューニングを上げてCにしようと言ったんだ。それから他のみんなが部屋を出て行ったとき、僕は実験みたいなことをしていて、Cでハーモニクスを弾き始めたら、自然に出てきたのが "As I Am" のイントロだった。

 

それで、演奏していて何かつかめたときというのは他のみんなもわかるんだ。僕がそれを弾きだしたらみんな部屋に寄って来て、それぞれのポジションについてみんなで演奏を始めたんだ。そういうことが……作曲については、そういう瞬間が僕の生きがいなんだ。

 

MPc:では、"Systematic Chaos"(訳注:アルバム9作目。2007年)については、どんなことを思い出しますか?

 

JM:最初に思い浮かぶのは、ニューヨークのAvatarスタジオ。Music Manのベース。長い期間をあけてMusic Manのベースをまた使った最初のアルバムだった。第1作のアルバム(訳注:"When Dream And Day Unite" 1989年)でMusic Manを使ったけど、このアルバムでMusic Manベースの演奏に再入門するような感じだったよ。それから……他にも思い浮かぶのは、ポール・ノースフィールド Paul Northfield。彼がエンジニアリングをしてくれたんだ。Rushと仕事をした経歴もある人だし、単純にサウンド作りのセンスがすばらしい人だから、彼と仕事をするのを楽しみにしていたんだ。

 

確か "Awake" の制作に入るときにもポールと仕事をできる機会があったんだけど、当時はうまく行かなかったんだ。でも彼の意見は本当に興味深いと思った。彼は自分がどういう方向性でいるか、どういうことを考えているか、たくさん話していた。みんなでギターサウンドについて話したのを覚えてるんだけど、当時はうまく折り合いがつかなかったんだ。でもこのアルバムではうまく行ったというわけだよ。

 

このアルバムもまた新しい境地に達した作品だったと思う。"Scenes From A Memory" の制作時とはまた違った感じだったけど、すべてがうまくまとまっている感じがしたし、よし、どこかに到達したぞという感じがあった。

 

MPc:そして最後に、"A Dramatic Turn Of Events"(訳注:アルバム11作目。2011年)を今振り返って思い浮かぶことは。

 

(訳注:アルバム10作目 "Black Clouds & Silever Linings"(2010年)のあと、ドラマーのマイク・ポートノイが脱退。オーディションを経てマイク・マンジーニを迎えてから最初のアルバムが "A Dramatic Turn Of Events")

 

JM:"A Dramatic Turn Of Events"……思い浮かぶのは、嵐のあとの凪、という感じのことかな?僕たちに大変なプレッシャーが降りかかってきているのは感じていた。けど同時に、スタジオにいると全然プレッシャーがすごいなんてことはなかった。つまり、音楽を作り出さないといけないんだから確かにストレスはある。だけど……何だかすごく自然なことをしていると感じた。長い間なかった雰囲気があった。ロングアイランド(訳注:マイアング氏とペトルーシ氏の出身地)のCove Cityスタジオで仕事ができたし、最高なことがまだこれからも実現できるんだな、という感じだった。ここまですごくいろんなことを経験してきたけど、最高なことは今もまだ起こっている。